中川彩子

提供:SMpedia
2012年6月12日 (火) 18:00時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎雑誌)
中川彩子 (1928-1980) 『風俗草紙』口絵(1953.12)

なかがわ あやこ、1928年(昭和3年)10月12日-1980年(昭和55年) 10月11日

概要

絵師。シュールリアリズムの画家として名を成した藤野一友の変名。『風俗草紙』から登場。奇譚クラブには描いていない。拷問画が特徴。春川光彦の変名で裏窓に小説も書いている。漢文学者の藤野岩友を父に持つ。『風俗奇譚』『画報風俗奇譚』『裏窓』『耽美芸術グラフ』『サスペンスマガジン別冊SMファンに描く。

別名

藤野一友、中川あや、土居啓子、K・サイモン、安田たか子[注 1]、春川光彦(文)

略歴

1928年(昭和3年)10月12日、漢文学者の藤野岩友を父に生まれる[注 2]

1953年(昭和28年)、『風俗草紙』でデビュー。

1965年(昭和40年)頃、脳卒中で倒れ、右半身が麻痺[1]。。

1980年(昭和55年) 10月11日、急性心不全で永眠[1]

エピソード

  • 土居啓子の変名で風俗奇譚の表紙を描いていた。
  • アトリエが小田急線の梅ヶ丘駅にあった[2]
  • 三島由紀夫や澁澤龍彦が好む。
  • 三島由紀夫の推薦で文学座の美術を何度か担当[2]
  • 濡木痴夢男裏窓の忘年会で、中川彩子喜多玲子都築峯子の4人で湯河原に出かけた思い出を書いている。その後に中川は脳溢血で障害を持つ[2]
  • 「かつて"風俗草紙"の時代にS・Nのペンネームで活躍」とある[3]

代表作品

画集

雑誌

参考資料

  1. 1.0 1.1 美濃村晃彗星のごとく消えた天才画家SMコレクター1981年(昭和56年) 3月号, p164
  2. 2.0 2.1 2.2 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
  3. 画報風俗奇譚』1960年(昭和35年)10月号, p114

注釈

  1. 確認が必要。風俗科斈1954年(昭和29年)3月20日号に安田たか子の作品が出ているが、中川彩子 の作風に似ている。
  2. 10月号中川彩子の名前が出てくるが、7月の創刊号から描いていたのかもしれない。

お役たちweb

つながり