解語の花
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概要
写真家星野小麿が1970年代から主催するアマチュアカメラマンのための撮影会『KPC』の分科会の1つ[1][注 1]。1976年(昭和51年)にの第1回目から濡木痴夢男が講師として招かれ、その後、1979年(昭和54年)の第20回目まで、4年間に亘り、濡木痴夢男が講師を担当した。解語の花の会員には、枷井克哉、須賀忠、不二秋夫らがおり、後の「ゆたか編集室」や「緊美研」発足のきっかけとなる[1]。
歴史
1976年(昭和51年)11月14日、星野小麿主宰KPCの分科会の1つとして第1回『解語の花』が百花苑で開かれる。講師は濡木痴夢男。モデルは深美ジュン[1]。
1979年(昭和54年)、第20回『解語の花』で終了[1]。
トピック
- 『解語(かいご)の花』とは 「言葉を解する花」という意味で、 美人のことを意味する中国古語から由来した表現。「唐の玄宗皇帝が楊貴妃と太液の池に咲く蓮の花を鑑賞していたとき、玄宗が家来に、「蓮の花より解語の花の方が美しい」と言ったことから出た語。」
- 春原悠理が1976年頃に解語の花のモデルとして参加[1]。