「テンプレート:スカイ劇場」の版間の差分

提供:SMpedia
編集の要約なし
44行目: 44行目:


1985年(昭和60年)5月1日、[[川上譲治]]が[[スカイ劇場]]の企画に復帰し、「シンドローム・ミスター」のホモショーを考案<ref name="saraba"></ref><ref group="注">目白のプロダクションACCが協力。</ref>。
1985年(昭和60年)5月1日、[[川上譲治]]が[[スカイ劇場]]の企画に復帰し、「シンドローム・ミスター」のホモショーを考案<ref name="saraba"></ref><ref group="注">目白のプロダクションACCが協力。</ref>。
1985年(昭和60年)7月1日-5日、[[スカイ劇場]]での[[美加マドカ]]公演<ref>[[Billyボーイ]]1985年(昭和60年)8月号</ref>


1985年(昭和60年)8月31日、[[川上譲治]]企画による[[スカイ劇場]]のさよなら興行「ラストストリップ」をプロデュース。紺野尚子のスネークショー、[[プチ亜利益沙]]<ref group="注">元[[アリアドーネの会]]</ref>の金粉ショー、セクシープロイト<ref group="注">アングラ劇団出身の宮下夫婦。オフィス405という芸能社で知り合う。</ref>のSMショー、ダンスラブマシーン<ref group="注">中山直一とその彼女</ref>、ビクトリー和胡<ref group="注">[[北方舞踏派]]の主宰者、ビショップ山田の妻</ref>、美芸公<ref group="注">大駱駝館からの参加</ref>、ブレーク・トリボーズ<ref group="注">田中睦子と鳥居氏の夫婦が主宰する暗黒舞踏「天鶏」から鳥居と座員の典子。</ref>、東京ファンタジア。たまきあい、パペティアット銀猫、マリ千鶴、東京裸舞ハンター<ref group="注">[[根暗童子]]と妻のマミ。</ref>。11日間の公演。この後、一時[[ストリップ]]から引退し、運送業を営む<ref name="sniper">Web Sniper 「ジョウジ川上55歳の決意」</ref>。
1985年(昭和60年)8月31日、[[川上譲治]]企画による[[スカイ劇場]]のさよなら興行「ラストストリップ」をプロデュース。紺野尚子のスネークショー、[[プチ亜利益沙]]<ref group="注">元[[アリアドーネの会]]</ref>の金粉ショー、セクシープロイト<ref group="注">アングラ劇団出身の宮下夫婦。オフィス405という芸能社で知り合う。</ref>のSMショー、ダンスラブマシーン<ref group="注">中山直一とその彼女</ref>、ビクトリー和胡<ref group="注">[[北方舞踏派]]の主宰者、ビショップ山田の妻</ref>、美芸公<ref group="注">大駱駝館からの参加</ref>、ブレーク・トリボーズ<ref group="注">田中睦子と鳥居氏の夫婦が主宰する暗黒舞踏「天鶏」から鳥居と座員の典子。</ref>、東京ファンタジア。たまきあい、パペティアット銀猫、マリ千鶴、東京裸舞ハンター<ref group="注">[[根暗童子]]と妻のマミ。</ref>。11日間の公演。この後、一時[[ストリップ]]から引退し、運送業を営む<ref name="sniper">Web Sniper 「ジョウジ川上55歳の決意」</ref>。

2024年1月4日 (木) 12:56時点における版

1982年(昭和57年)2月、スカイ劇場での『ザ・ムギギ』のショー

すかいげきじょう。1980年代に池袋にあったストリップ劇場。川上譲治の企画で、暗黒舞踏系のショーやSM系のショーが多く演じられていた。根暗童子も東京裸舞ハンターとして出演。

概要

池袋駅の近くにあった座席数40程度の小ストリップ劇場。1980年頃、川上譲治が活動拠点として使った。

別名

スカイ劇場 池袋スカイ劇場

歴史

1981年(昭和56年)3月、川上譲治の企画で、マリ千鶴(松田千鶴)の『マリ千鶴・直感の世界[注 1]』が大ヒット[注 2][1]

1981年(昭和56年)4月、川上譲治の企画ショー第2弾として「ポラロイドショー」[注 3][1]

1981年(昭和56年)4月、川上譲治企画の『芸術ストリップ・ショー ダンスラブマシーン』[注 4][1]

1981年(昭和56年)5月、川上譲治企画のアングラ舞踏家[注 5]の『杏&逗子王』白黒金粉ショー[1]

1981年(昭和56年)9月11日、川上譲治企画の「泥んこ生板女子大レスリングショー」[1]

1982年(昭和57年)1月、正月興行として『女優軍団・藤』の公演[2]

1982年(昭和57年)2月、『ザ・ムギギ』

1982年(昭和57年)3月、川上譲治企画の「覗き部屋ショー」[1][注 6]

1982年(昭和57年)5月、川上譲治企画の「スキャンダル東京キッド」のショー[1][注 7]

1982年(昭和57年)7月、川上譲治企画の「ストトル・ショー」がヒット[1][注 8]。8日目に警察の手入れ。続いて2回目の手入れ。

1982年(昭和57年)8月2日、川上譲治が公然わいせつ罪の容疑で逮捕。3日に送検。8月23日まで拘留され略式起訴の罰金5万円の刑[1]

1982年(昭和57年)8月11日〜20日、スカイ劇場にて『SMの帝王 玉井敬友引退特別興行

1982年(昭和57年)12月、川上譲治企画の「デートショー」[1][注 9]

1983年(昭和58年)1月川上譲治企画の日野繭子のポルノ劇[1][注 10]。ここでしばらくスカイ劇場の企画から離れる。

1983年(昭和58年)春、『ヌードグランプリ』コンテストでキャッシー環が優勝[3]

1984年(昭和59年)1月頃、京&鉄舟の『残酷・女体解剖[4]

1980年(昭和55年)6月、森美貴池袋スカイ劇場のSMショーで初舞台[5]

1985年(昭和60年)5月1日、川上譲治スカイ劇場の企画に復帰し、「シンドローム・ミスター」のホモショーを考案[1][注 11]

1985年(昭和60年)7月1日-5日、スカイ劇場での美加マドカ公演[6]

1985年(昭和60年)8月31日、川上譲治企画によるスカイ劇場のさよなら興行「ラストストリップ」をプロデュース。紺野尚子のスネークショー、プチ亜利益沙[注 12]の金粉ショー、セクシープロイト[注 13]のSMショー、ダンスラブマシーン[注 14]、ビクトリー和胡[注 15]、美芸公[注 16]、ブレーク・トリボーズ[注 17]、東京ファンタジア。たまきあい、パペティアット銀猫、マリ千鶴、東京裸舞ハンター[注 18]。11日間の公演。この後、一時ストリップから引退し、運送業を営む[7]

1985年(昭和60年)9月、閉館。

所在地

東京都豊島区東池袋1-4-7フラワービル4階[1]

トピックス

  • 長田英吉が出演していた。
  • 1968年に横浜駅東口のスカイビルに「スカイ劇場」がオープンしたが、これとは別物。
  • 1937年(昭和12年)の開業した川崎映画劇場が1970年代に「川崎スカイ劇場」と改名し1983年に「川崎グランド2」となったが、これとは別物。
  • 1982年の広告には「ポルノとジョークの館」「日本一格安の劇場」「ニュースカイ劇場」とある。

ギャラリー

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 川上譲治さらばストリップ屋』(朝日新聞社, 1988)
  2. Billy 1982年(昭和57年)3月号
  3. Billy1984年(昭和59年)5月号
  4. S&Mスナイパー1984年(昭和59年)3月号で紹介
  5. 森美貴I LOVE 自縛写S&Mスナイパー1984年(昭和59年)6月号
  6. Billyボーイ1985年(昭和60年)8月号
  7. Web Sniper 「ジョウジ川上55歳の決意」

注釈

  1. 「マッチ売りの少女」としてマッチを観客に擦らせた。
  2. この公演あたりから従来のストリップファンに加えて、新しい若い層が観に来るようになる。
  3. ダンサーは『ゴールデンサラマンドラ』に出ていた「チエ」。「前田真理子」として出演。
  4. 暗黒舞踏団『 ダンスラブマシーン』主宰者の田村哲郎、その夫人の古川杏、『大駱駝館』の原田南店を練馬区豊玉にある『 ダンスラブマシーン』稽古場に訪れ、[[スカイ劇場]への出演を依頼。あまりにも前衛過ぎて、観客は拒否反応。
  5. インドに行くための資金稼ぎ。
  6. 当時流行りだした「覗き部屋」に触発された企画。根暗童子が企画に参加。
  7. 当時、小樽を拠点にしていた北方舞踏派のメンバー。かつて「鈴蘭党」とい名でストリップ劇場を回っていたが、京都で摘発されしばらくストリップには出ずに、主にキャバレーのフロアショーで資金稼ぎをしていた。川上譲治北方舞踏派の高橋氏を紹介されたのは、宇野満氏からで、東京練馬にあった大駱駝館でであった。宇野満氏を川上譲治に紹介したのが、暗黒舞踏「天鶏」の主宰者、田中睦子女史からで、田中は川上譲治の舞台に上がっていた。
  8. 客を劇場外に連れ出し、マントルの内容の行為を劇場ビデオで他の客に見せるショー。「フォーカス」に取り上げられ、客が集まる。
  9. 根暗童子が企画に参加。
  10. ポルノ劇団『五人囃子 』の主宰者の一色が演出。
  11. 目白のプロダクションACCが協力。
  12. アリアドーネの会
  13. アングラ劇団出身の宮下夫婦。オフィス405という芸能社で知り合う。
  14. 中山直一とその彼女
  15. 北方舞踏派の主宰者、ビショップ山田の妻
  16. 大駱駝館からの参加
  17. 田中睦子と鳥居氏の夫婦が主宰する暗黒舞踏「天鶏」から鳥居と座員の典子。
  18. 根暗童子と妻のマミ。

お役たちweb

つながり