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2003年(平成15年)、SMラジオ番組開始<ref group="注">日本で唯一(2010現在)琉球放送iラジオ「愛と性の番組 いとあやし」(2004年終了) 、 FMたまん「サディステックマスター ギリギリナイト」(~現在) (私信 to Ykotake) </ref>。 | 2003年(平成15年)、SMラジオ番組開始<ref group="注">日本で唯一(2010現在)琉球放送iラジオ「愛と性の番組 いとあやし」(2004年終了) 、 FMたまん「サディステックマスター ギリギリナイト」(~現在) (私信 to Ykotake) </ref>。 | ||
2004年(平成16年) | 2004年(平成16年)、那覇「熱血社交場」にてSMショーデビュー。ショーアップ大宮劇場SM大会出演<ref group="注">赤色の麻縄と滑車、HIP-HOPを使ったショーを[[川上譲治]]が注目(私信 to Ykotake)。</ref>。 | ||
2004年(平成16年)、[[緊美研|緊縛美研究会]]入会<ref group="注">ショーアップ大宮劇場で同じ香盤だった[[早乙女宏美]]と親交を深めたのがきっかけ (私信 to Ykotake)。</ref>。「麻屋霞寿」と改名。この頃からプロ化を自覚する<ref group="注">[[緊美研|緊縛美研究会]]の[[濡木痴夢男]]に「同好のマニア」と言われたり、 コアマガジン、ニャンニャン倶楽部総編集長の夏岡彰より「プロになっちゃたねぇ」と言われ、三和出版の松本祐(松山明)専務取締役編集局長と親しくなる(私信 to Ykotake)。</ref>。 | 2004年(平成16年)、[[緊美研|緊縛美研究会]]入会<ref group="注">ショーアップ大宮劇場で同じ香盤だった[[早乙女宏美]]と親交を深めたのがきっかけ (私信 to Ykotake)。</ref>。「麻屋霞寿」と改名。この頃からプロ化を自覚する<ref group="注">[[緊美研|緊縛美研究会]]の[[濡木痴夢男]]に「同好のマニア」と言われたり、 コアマガジン、ニャンニャン倶楽部総編集長の夏岡彰より「プロになっちゃたねぇ」と言われ、三和出版の松本祐(松山明)専務取締役編集局長と親しくなる(私信 to Ykotake)。</ref>。 | ||
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*2005年(平成17年)、船橋若松劇場SM大会にて、それまで使っていたステンレス製帆船用滑車に代えて「ご褒美」として[[長田英吉]]の遺品である4連式桜の木製滑車を譲渡され、以降のショーに活用する。この経緯は、[[S&Mスナイパー]]2005年8月号の[[早乙女宏美]] | *2005年(平成17年)、船橋若松劇場SM大会にて、それまで使っていたステンレス製帆船用滑車に代えて「ご褒美」として[[長田英吉]]の遺品である4連式桜の木製滑車を譲渡され、以降のショーに活用する。この経緯は、[[S&Mスナイパー]]2005年8月号の[[早乙女宏美]]『物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」』に紹介されている(私信 to Ykotake)。 | ||
*[[有末剛]] [[卯月妙子]]と | *[[有末剛]] [[卯月妙子]]と 沢田穣治を2度コラボさせ、東京緊縛オーケストラのきっかけをつくる(私信 to Ykotake)。 | ||
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* | *日本最後の子連れ巡業白黒ストリッパーとして『別冊GON』2005年(平成17年)9月号([[ミリオン出版)]]に紹介。 | ||
*米兵相手のショーが多く、2003年以来、陸・海・空・海兵隊の憲兵による検閲を受ける(私信 to Ykotake)。 | |||
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*主な出演劇場はショウアップ大宮劇場 DX歌舞伎町劇場 船橋若松劇場 船橋大宝劇場 、郡山ミュージック劇場 西川口テアトルミュージック劇場 横浜黄金劇場 鶴舞劇場 名古屋銀映 名門九条OS劇場天六ナニワミュージック劇場 A級別府劇場 A級小倉劇場演。 | |||
*レギュラー出演番組 :琉球放送RBCiラジオ「愛と性の番組いとあやし」亜熱帯FM「夜遊びのすすめ」<br> | *レギュラー出演番組 :琉球放送RBCiラジオ「愛と性の番組いとあやし」亜熱帯FM「夜遊びのすすめ」<br> | ||
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2010年3月14日 (日) 12:01時点における版
あさや かすみ ことぶき、1972年(昭和47年)-
活動内容
緊縛師[注 1]。調教師。文筆家。写真家。
別名
麻屋寿、ロープ沖縄 、Pn全裸の妖精
略歴
1972年(昭和47年)、静岡県三島に生まれる。
1975年(昭和50年)頃、物心ついたころから女王様や江戸補縄術に興味をもつ[注 2]。
1985年(昭和60年)、同人誌への執筆活動をはじめる[注 3]。
1991年(平成3年)、この頃から「Pn全裸の妖精」を名のり、各種雑誌に調教写真、小説を投稿[注 4]。
1991年(平成3年)、鉄道・軌道業(系列の航空・船舶事業を含む)に就職。副業としてピンサロのアルバイト[注 5]。
1993年(平成5年)、三島市にてSM倶楽部「全裸の妖精」を創業。
1993年(平成5年)、吐夢書房のSM雑誌[注 6]に寄稿。
1997年(平成9年)、ショーアップ大宮劇場・船橋若松劇場・鶴見新世界劇場へ長田英吉と早乙女宏美のショーを「おっかけ」。
2000年(平成12年)、鉄道・軌道業会社を辞し、有限会社を創業しソープ[注 7]、ラブホテルの経営などを始める[注 8]。
2000年(平成12年)、この頃から「麻屋寿」を名のり、風俗新聞[注 9]、メルマガジン[注 10]などに執筆。
2001年(平成13年)、伊豆地域での事業を全譲渡し、沖縄に移住しSMソープ[注 11]を、デリバリーSMを創業。
2003年(平成15年)、SMラジオ番組開始[注 12]。
2004年(平成16年)、那覇「熱血社交場」にてSMショーデビュー。ショーアップ大宮劇場SM大会出演[注 13]。
2004年(平成16年)、緊縛美研究会入会[注 14]。「麻屋霞寿」と改名。この頃からプロ化を自覚する[注 15]。
2005年(平成17年)、SM白黒ストリッパーとして各地を巡業[注 16]。
2007年(平成19年)、大阪堂山MIX-ROOM大黒堂ミロの主宰により香里園駅近傍の旧家にてトークライブを興行(2008年も)。
2009年(平成21年)、福井市で彫師「極楽点」とコラボ興行。
エピソード
- 2005年(平成17年)、船橋若松劇場SM大会にて、それまで使っていたステンレス製帆船用滑車に代えて「ご褒美」として長田英吉の遺品である4連式桜の木製滑車を譲渡され、以降のショーに活用する。この経緯は、S&Mスナイパー2005年8月号の早乙女宏美『物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」』に紹介されている(私信 to Ykotake)。
- 有末剛 卯月妙子と 沢田穣治を2度コラボさせ、東京緊縛オーケストラのきっかけをつくる(私信 to Ykotake)。
- 緊美研ビデオO-161緊縛之神髄1「濡木が震えた被虐美の女」において濡木痴夢男との会話が多く収録されている。
- 日本最後の子連れ巡業白黒ストリッパーとして『別冊GON』2005年(平成17年)9月号(ミリオン出版)に紹介。
- 米兵相手のショーが多く、2003年以来、陸・海・空・海兵隊の憲兵による検閲を受ける(私信 to Ykotake)。
- 主な出演劇場はショウアップ大宮劇場 DX歌舞伎町劇場 船橋若松劇場 船橋大宝劇場 、郡山ミュージック劇場 西川口テアトルミュージック劇場 横浜黄金劇場 鶴舞劇場 名古屋銀映 名門九条OS劇場天六ナニワミュージック劇場 A級別府劇場 A級小倉劇場演。
- レギュラー出演番組 :琉球放送RBCiラジオ「愛と性の番組いとあやし」亜熱帯FM「夜遊びのすすめ」
FM熱海「ウイークエンドあたみ」SBS静岡放送「フリーステーション1・2・0」他
- ゲスト出演 :FM21(浦添市)タイフーンFM(那覇市)FM北谷 FMニライ(北谷町) RBC-TV(琉球放送)OTV(沖縄テレビ)FM沖縄(那覇市) FMコザ ミュージックタウンFMオキラジ(沖縄市) FM西東京(西東京市)シャナナFM(名古屋市) K-mix(FM静岡)ニッポン放送(JOLF・東京)
- 2004年(プロ化以降)~の主な掲載雑誌。
月刊 漫遊記 「霞ファミリーの人生道場」(東海ブックサービス)2004年~連載中
月刊 俺の旅 (ミリオン出版) 夜の覆面調査隊 2006・6号(VOL14)~連載中
SMスナイパー (ワイレア出版)
2004年10~12月号(三ヶ月連載 濡木痴夢男 緊縛日記「縄を解かれて泣く女 祝チドリ」編のモデル
2005.8号(早乙女宏美 物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」)
2005.11号(夫婦調教ショー霞 寿&紫苑のSM人生賛歌 薔薇色の楽屋生活)
2006.2号(楽園に咲く熱狂のSM浪漫)
別冊GON (ミリオン出版) 2005.9.27号
月刊MAZI (ミリオン出版) 2006.10号 2006.12号 2007.5号
週刊実話 (日本ジャーナル出版) 2005.1/6号 2005.12/1号2006.2/23号 2006 4/27号2006.5/25号2006.9/7号
夕刊ナイガイタイムス 2005.1/9号2005.8/14号2005.9/27号 2005.12/8号 2006.10/7号
週刊大衆増刊「パパラッチ」 (双葉社)2006.1/3号 2006.5/7号2006.11/7号2007.2/16号
週刊大衆増刊(双葉社) 2005.10/20号2006.7/16号
東京スポーツ新聞 2005.7/13号
東京中日スポーツ新聞 2006.6/29号2010.1/14号
デイリースポーツ新聞2010.1/14号
DVDエロたん (三和出版)2006.11/1創刊号
月刊本当にあった人妻の浮気話 (ミリオン出版)2007.7号2007.11号 、
月刊小説宝石 (光文社) 2007.2号 小説「ファイアーキングカフェ」いしかわじゅん著 (主人公てるりんのモデル)
月刊問題実話 (桃園書房) 2007.3号
夕刊ゲンダイ2007.2/19号
週刊アスキー 2007.3/27号
秘性1号(2007) (三和出版)
投稿変態熟女7号(2009) (三和出版)
緊縛★命あるかぎり(2008)(縄を解かれて泣く女・祝ちどりの夫)(河出書房新社文庫)濡木痴夢男著
代表作
DVD
- 緊美研 緊縛之真髄3
O-163吊りは地獄か極楽か・女体三半規管責め(不二企画)(2005)監督 濡木痴夢男 撮影 不二秋夫
(一時的に復活した緊縛美研究会にて撮影、不二秋夫はこの作品で緊縛美研究会を去る
- 変態夫婦(マーベルプロ)(2006)監督 望月羅美
(ロケ地沖縄、ドキュメンタリー)
- 実録・THE変態3(パラダイスTV)(2006)
(ロケ地沖縄、ドキュメンタリー)
- 乱鬼龍6(いたち屋ドラゴンイメージ)(2007)監督 風見蘭喜
(ロケ地沖縄、公開ショー形式で撮影・風見蘭喜作品では唯一スカトロプレイがある)
- マゾヒスト戦士ケン(絶頂)(2005)監督 青山夏樹
(霞寿・紫苑 蓬莱かすみ 夜羽エマ 夏樹 カミラのオムニバス)
- お尻倶楽部DVD2(三和出版)(2004)
(ロケ地、沖縄、某高級リゾートホテル)
関連文献
緊縛★命あるかぎり (河出書房新社文庫)濡木痴夢男著
注釈
- ↑ 本人は緊美研会員のため緊縛師ではないと自称(私信 to Ykotake)
- ↑ タイムボカンシリーズ(マージョ・ドロンジョ…)や水戸黄門・大岡越前・銭形平次・大江戸捜査網の影響(私信 to Ykotake)。
- ↑ 「やおい(ボーイズラブ)」が最初。女性家庭教師が、やおい同人誌愛好家で話が弾み授業中に自身のM性を暴露。初体験時より彼女の求めるままS性を引き出され、以降SMパートナーとして高校卒業時まで「Mに育てられるS」としての関係がつづく(私信 to Ykotake)。
- ↑ ニャンニャン倶楽部系各誌 (コアマガジン・白夜書房) 、アップル写真館系各誌・投稿キング系各誌・SM秘小説・SMマニア・GON(大洋図書・ワイレア出版・ミリオン出版・マイウエイ出版) 、マニア倶楽部系各誌・お尻倶楽部系各誌 (三和出版・メディアボーイ) 、ベビーフェイス系各誌 (英知出版) 、熱写ボーイ系各誌 (東京三世社) 、裏モノマガジン系各誌 (鉄人社) 、ラジオライフ系各誌 (三才ブックス) 、週刊漫画TIMS (芳文社) 、月刊人妻熟女報告 (司書房) 、夜シゴト・月刊おきなわ倶楽部 (ダイオキ・求人おきなわ) 、月刊ハンズ (近代美術・ハンズコム) 、月刊おきなわJOHO (沖縄情報ドットネット) 、月刊FLAVIVA (モアクリエイト)他 (私信 to Ykotake)。
- ↑ 在籍嬢の勤務外収入や、採用できない容姿の女性へ「軽いバイト」として露出・調教写真の撮影をおこない投稿(私信 to Ykotake)。
- ↑ 「華麗奴」「ORG」「オルガナイザー」「SPIRAL」「TOO NEGATIVE」「SPECULUM」など。小林(紅)小太郎編集長の指示によってボカシが極端に薄くされた。警視庁目白署がトーハン、日販を内偵すると塚本会長が自首し廃刊(私信 to Ykotake)。
- ↑ 伊豆長岡温泉のソープランド「湯女・麗嬢」を継承。ソープのコースにSMプレイを設定した業界先駆者となる(私信 to Ykotake)。
- ↑ 沼津インター付近のSMルーム付きラブホテル「マジック」。また、高級ラブホテル「ラグナリゾートホテル」をプロデュース(私信 to Ykotake)。
- ↑ 「月刊MANZOKU横浜」創刊に従事、内外タイムス(夕刊紙)東京MANZOKUニュース(新聞)のSMコーナーを担当。
- ↑ 「メルモ」において「M女リコの調教日記」を配信。
- ↑ 「ニュー那覇」、「ゆめ・キャロット」
- ↑ 日本で唯一(2010現在)琉球放送iラジオ「愛と性の番組 いとあやし」(2004年終了) 、 FMたまん「サディステックマスター ギリギリナイト」(~現在) (私信 to Ykotake)
- ↑ 赤色の麻縄と滑車、HIP-HOPを使ったショーを川上譲治が注目(私信 to Ykotake)。
- ↑ ショーアップ大宮劇場で同じ香盤だった早乙女宏美と親交を深めたのがきっかけ (私信 to Ykotake)。
- ↑ 緊縛美研究会の濡木痴夢男に「同好のマニア」と言われたり、 コアマガジン、ニャンニャン倶楽部総編集長の夏岡彰より「プロになっちゃたねぇ」と言われ、三和出版の松本祐(松山明)専務取締役編集局長と親しくなる(私信 to Ykotake)。
- ↑ 早乙女宏美の推薦によって名古屋鶴舞劇場に出演したのがきっかけ(私信 to Ykotake)。
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