「カストリ雑誌時代の奇譚クラブ」の版間の差分
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2015年2月25日 (水) 20:02時点における版
きたんくらぶ
概要
『奇譚クラブ』は、1947年(昭和22年)10月25日にB5版のカストリ雑誌として大坂の曙書房から吉田稔によって創刊された。創刊当初は戦前に流行していたエログロナンセンスを踏襲[1]した変態マニア専門誌だったものが翌年1月発行の通刊第3号よりGHQによる検閲[2]を受け、次の通刊第4号よりごく普通のカストリ雑誌へと業態変更を余儀なくされる。以後、通刊第7号までは安定した月刊誌として発行されていたが再びGHQによる検閲の影響で通刊第8号を境に半年ほど休刊を余儀なくされ以後2年間ほどの不定期刊行を強いられた[2]。
この様な状態はGHQによる検閲が終了する1952年(昭和27年)4月まで続き、翌月休刊してA5版へと移行する事となり、奇譚クラブのカストリ時代はそのまま連合軍による占領時代と重なる。
創刊の1年後には須磨利之や辻村隆が編集に加わり内容が充実してゆく半面、GHQによる検閲が終了するまで(検閲終了の翌月発売となる1952年(昭和27年)5・6月合併号でA5版に変更になるまで)の間は、先述の通り基本的にはごく普通のカストリ雑誌や実話雑誌として発行されていた。当初は長谷川伸、長沖一、織田作之助などの有名文筆家、新聞記者時代の高村暢児、高校教師であった高梨久(後に、NHK大阪、ABC放送)、杉山清詩等が寄稿していた[3]。1950年前後から東京の出版社が作家の囲い込みを始め、在阪出版社は執筆者の確保が難しくなったと言われている[4]。
発行年・出版社
1947年(昭和22年)10月(11月号)〜1975年(昭和50年)3月。ただしカストリ雑誌時代の奇譚クラブは1947年(昭和22年)11月号〜1952年(昭和27年)4月号、とする。曙書房
発行人・編集人
1947年(昭和22年)11月号〜1951年(昭和26年)11月は吉田稔
1951年(昭和26年)12月〜は箕田京二
1947年(昭和22年)
1947年(昭和22年)創刊号
特徴:B5版のカストリ雑誌として出版。出版元は曙書房。
発行日:1947年(昭和22年)10月25日
価格:18円
ページ数:中綴じ24ページ
10月25日発行の11月号として創刊し月刊誌として定期刊行の形態でスタートしている。
生殖器崇拝と性的神、土俗玩具の研究、十代の娘に避妊手術させて売る母親の話、人肉の味など、戦前に流行していたエログロナンセンスを踏襲した内容[1]で、表紙デザインも戦前のグロテスク1929年(昭和4年)1月号、2月号を模倣している[5][1]。「奇譚」に「譚」の漢字が間違っており、さらに「Kitan Clab」とミススペルになっている。
1947年(昭和22年)通刊2号『変態奇人号』
特徴:奇譚クラブ初のサド・マゾに関する記載[6]。
発行日:1947年(昭和22年)12月
価格:18円
ページ数:中綴じ28ページ
『變態性慾者群像』という記事の第二章及び第三章にて、それぞれ被虐待性淫慾者(マゾヒスムス) 及び 虐待性淫慾者(サデイスムス)としてサド・マゾに付いて紹介されており、これが奇譚クラブ初のサド・マゾに関する記載となる[6]。
1948年(昭和23年)
1948年(昭和23年)通刊3号『情艶いかもの号』
特徴:奇譚クラブ初の緊縛・吊り絵、GHQによる本格的な検閲を受けた最初の号[6]
発行日1948年(昭和23年)1月
価格:18円
ページ数:中綴じ28ページ
拷問・処刑の例として緊縛絵が3態ほど、磔・海老責・吊が紹介されており、これが奇譚クラブ初の緊縛絵となり、またGHQによる本格的な検閲を受けた最初の号でもある。[6]
この検閲がきっかけとなり変態誌から極普通のカストリ雑誌へと変貌してゆく事になる[2]。
1948年(昭和23年)通刊4号『粹人枕奇特集号』
特徴:8ページ増加、4円値上げ。目次の雰囲気が一変し普通のカストリ誌の雰囲気へと変化。
発行日1948年(昭和23年)2月20日
価格:22円
ページ数:中綴じ36ページ
2月8日付け(発行日の12日前、印刷日の一週間前)にGHQの下部組織である民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment)のT.MASUDAという人物によって事前検閲が行われPASSしている[2]。検閲文書でのタイトルは“KIDAN CLUB”[2]。検閲官による判定は若い男女向けのポピュラーなフィクションマガジンとして無害認定された[2]。但しエログロの要素も残している為、検閲官の裁量によるものと思われる[2]。
1948年(昭和23年)通刊5号『愛慾流轉號』
特徴:表紙には「月刊」と。裸体モデル(18の乙女)写真分譲(5枚、50円)の広告。
発行日:1948年(昭和23年)3月20日、通刊第5号
価格:22円
ページ数:中綴じ36ページ
主な記事:保利竜平『ソドミイの壺』(挿絵:南陽二)、杉山清詩『パンパンガール殺人事件』(挿絵:紫荘児)など
絵師:南陽二、紫荘児
その他:「会員通信」が送られる会員募集の公告が。年会費は270円。裏表紙は「Kitan Clab」とミススペルのまま。第二回懸賞詰将棋。
この号はGHQの検閲で巻末グラビアがViolation判定を受けており、吉田に対して注意勧告などが行われている[2]。
1948年(昭和23年)通刊6号 『艶笑 新緑増大号』
特徴:。「Kitan Clabu」とミススペルのまま。裏表紙に4月下旬に臨時増刊「妖怪変化特輯号」の宣伝。
発行日:1948年(昭和23年)4月20日、通刊第6号
価格:22円
ページ数:中綴じ36ページ
主な記事:加茂川清子『口紅女学生行状記 アトリエ騒動』、園田光『桃色女学生行状記 裸身の反逆』、南里弘『南大阪の暗黒街展望』、杉山清詩『閨房殺人事件』など
絵師:(不明)
その他:加茂川清子の作品の挿絵に、画家のモデルをしている主人公が、拷問の絵を描くからと縛られている場面(文章は後手緊縛だが挿絵は前手に紐で軽く縛っている)。半年後の加茂川清子の作品の挿絵は須磨利之であることが気になる。園田光の作品も須磨利之が挿絵を書いている。後に南里弘『南大阪の暗黒街展望』では飛田の「サディズム女郎」が紹介されている。
この号は、刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)で摘発され罰金刑を受けた為、吉田が反発して裁判となった。裁判での争点は「わいせつ」か「芸術」か、という点で争われ、GHQによる検閲が終了する昭和27年(1952)4月(同月末に日本が主権を回復するが、その直前)に最高裁への上告が棄却され有罪が確定。この判決の翌月を休刊し、翌々月からA5版となる[2]。この時の罪状は「わいせつ物頒布等の罪」となり罰金5千円が課せられた。有罪確定時の消費者物価指数換算で現代の金額に換算して約3万3千円程度、摘発時で換算すると4万数千円となる。
1948年(昭和23年)通刊7号『新鋭短篇特集號』
特徴:まだ須磨利之の痕跡は見いだせない。
発行日:1948年(昭和23年)5月20日
価格:25円
ページ数:中綴じ36ページ
主な記事:杉山清詩『閨房殺人事件』など。
絵師:
その他:表表紙の裏には「Kitan Club」と正しいスペル。「譚」はあいかわらず間違ったまま。第4回懸賞詰将棋。
1948年(昭和23年)臨時増刊『妖怪変化特輯号』
発行日:不明
発売日:1948年(昭和23年)4月下旬
その他:通刊第6号の裏表紙に広告が掲載されている号、但し現物は確認されていない。
1948年(昭和23年)通刊8号
上記の臨時増刊『妖怪変化特輯号』が通刊8号かもしれない。 5号と6号で連続して摘発を受けた為、上記の7号又は8号で発禁処分を受け罰則として半年間の発行停止処分を受けていた可能性が指摘されている[6]。
1948年(昭和23年)通刊9号『爽秋讀切傑作號』
特徴:表紙や挿絵に須磨利之登場。辻村隆も信土寒郎の名前であちこちにコメントのような文が掲載されている。
発行日:1948年(昭和23年)10月15日
価格:40円
ページ数:中綴じ52ページ
主な記事:邦枝完二『圍い者』(挿絵柴谷宰二郎)、大谷冽『平和荘綺譚第一話 彼女は驚きぬ』(挿絵が須磨利之(TOSHIYUKIとサイン))、杉山清詩『青空晴子探偵シリーズ 鯰に魅入られた男』(挿絵:須磨利之(としゆきとサイン))、住田恭平『嘆きのイヴ』(挿絵:須磨利之)、高村暢児『愛は星の下に』(挿絵:上原正夫)、加茂川清子『口紅女学生行状記 変態痴魔事件』(挿絵:としゆき)、長谷川伸『善八の財布』(挿絵:笹岡一夫)
絵師:上原正夫、清原康、黒石光、笹岡一夫、岡田利久
その他:編集後記に「姉妹雑誌『譚界』」の来月創刊予告。小売店を募集している。詰将棋続く。
1949年(昭和24年)
1949年(昭和24年)通刊10号『競艶力作特集號』
特徴:表紙は須磨利之(サインはToshiyuki S)。グラビアに須磨利之の三色刷イラスト。
発行日:1949年(昭和24年)1月5日
価格:40円
ページ数:中綴じ53ページ
主な記事:織田作之助 『航路』[注 1](挿絵:清原康)、高村暢児『賣笑婦は泣かず』(挿絵:笹岡武二)、忍頂寺穣『江戸の人気男』(挿絵:としゆき、加茂川清子『口紅女学生行状記 虚飾の街の娘達』(挿絵:としゆき)
絵師:司馬湲(絵のサインはSHIBATANI)、笹岡三千雄、笹岡武二、清原康、左脇不二夫、田中比呂志、すまとしゆき、須磨としゆき
その他:
1949年(昭和24年)1月号別冊『世界歡楽街めぐり』
特徴:奇譚クラブ初の別冊
発行日:1月20日
価格:40円
ページ数:平綴じ52ページ
主な記事:歓楽の港・夜の上海を暴く、モンテカルロの賭博場と女と佝僂
絵師:NOBUO(P36挿絵、サインが180度回転している)、表紙や多数の挿絵に作者名の記載無し
その他:世界の歓楽街を巡る特集としながらも当時内戦状態にあった上海を除いて連合国側の都市は登場していない[6]。
1949年(昭和24年)2月『珍談奇聞讀物集』
特徴:表紙は須磨利之(サインはT・S)。裏表紙の裏にはヌード写真。3色カラー口絵がついており、笹岡武二と須磨利之。
発行日:1949年(昭和24年)2月25日
価格:45円
ページ数:中綴じ53ページ
主な記事:杉山清詩『馬鹿につける薬』(挿絵:須磨としゆき)、信土寒郎『二十の扉異聞』、加茂川清子「うちかなわんわァ」(挿絵:明石三平)、高村暢児『賣笑婦は泣かず』(挿絵:笹岡武二)
絵師:笹岡武二、佐々岡武二、佐脇ふじ、明石三平
1949年(昭和24年)4月号別冊『第七天國探訪記』
特徴:須磨利之が全面的に製作に関わっている。「魁京二」も須磨利之の変名と思われる[要出展]。編集・発行は吉田稔
発行日:1949年(昭和24年)4月10日
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:海部渡『梅田娘の體臭』(挿絵は須磨利之)、大木悦二『ミナト五人娘』、杉山清詩『赤外線で頂いた京都』、大谷冽『夢と女のいでゆを訪ねて』、瓜生正美「中京美人の横顔』(挿絵は魁京二)、殿村泰三『寝亂れた娼婦』、峯好兒『艶姿東海道本線』、元警察署長『如何なる星の下に生れ来しぞ』、山本彦一『肉體の自畫像』、高村暢児『都会のゴミ箱』
絵師:魁京二、亀井七郎
その他:
1949年(昭和24年)5月~6月(この二ヶ月間、不明)
1949年(昭和24年)7月号
特徴:表紙は須磨利之(サインはsuma)。裏表紙不明でサインはMiNE
発行日:
巻号:第3巻第7号
価格:50円
ページ数:中綴じ53ページ
口絵:二色刷り。黒岩光『花嫁の日記』を不二木一(ふじきはじめ)の絵。
主な記事:高村暢児『敗戦ドイツの悲劇 女四十八人』(挿絵:柴谷宰二郎)、綾津夜子『女蕩し』(挿絵:三平)、信土寒郎『奇譚百話 都会の溜息』(挿絵:明石三平)
絵師:柴谷宰二郎、園登美、不二木一、赤坂幸太、紺野登志
その他:編集後記に黒岩、住田、小峯の名前。
1949年(昭和24年)9月号『情炎小説傑作集』
特徴:喜多玲子登場。表紙は須磨利之(サインはSosei)。裏表紙に「ルポ 夜のTOBITA」でヌード写真掲載。撮影は絹川雪夫
発行日:1949年(昭和24年)9月15日
巻号:第3巻第8号
価格:50円
ページ数:中綴じ55ページ
主な記事:高村暢児『ああ引揚に涙あり』(挿絵:柴谷宰二郎)、高村暢児『ルポ 夜のTOBITA』(挿絵:㐂夛玲子)、園田光『女への復讐』(挿絵:喜多玲子)
絵師:灘みどり、笹岡武二、佐脇ふじ
その他:裏表紙の裏に「五萬圓懸賞」の募集広告。
1949年(昭和24年)10月号
特徴:表紙に「玲」のサイン。
発行日:1949年(昭和24年)10月15日
巻号:
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:
絵師:
その他:
1949年(昭和24年)10月号別冊『歡楽街探訪』
表紙は違うものの、中身は4月の『別冊奇譚クラブ 第七天國探訪記』そのまま。目次のタイトルや奥付の雑誌名も『 第七天國探訪記』となっている。ただし、奥付の日付だけは「十月十日發行」となっている。
1950年(昭和25年)
1950年(昭和25年)1月号『読切小説特大号』
須磨利之はこの年の初めに結婚し、まもなく夫人が妊娠している。安定した生活収入を得るため、吉田稔から乞われるかたちで、京都から堺市に転居し、奇譚クラブの編集に専念することになる。11月頃に引っ越しした模様である[3]。
1950年(昭和25年)2月~6月
1月号83ページにプレスコードに抵触する次号予告「私は米軍のスパイだった」の記載が有る為、当該号である2月号がGHQの下部組織である民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment)により発禁処分(発禁に成った事実をGHQより厳しく公言禁止された上での発禁処分)を受け、以後半年間の発行停止による罰則を受けていた可能性が高い。仮に発行されていたとしても書店での店頭売りではなく定期購読者への直送のみであると思われる。但し、当時は全ての郵便物が(検閲されている事を公表せずに)検閲を受けていた為、定期購読者への直送さえも郵便事故を装い全品回収焼却されていた可能性が高い[6]。 この間に確認されている唯一の奇譚クラブ関連図書として、5月に曙書房が編集し近畿図書が発行人と発売元を代行する形で「奇譚クラブ別刊 興安嶺・敗走関東軍その後の実相」というタイトルでの出版が1点確認されているのみである[7]。ノンフィクションの体裁でありながら巻頭の口絵に2ページ、本文中の挿絵にも数ページの女体緊縛絵が掲載されており、日中混血の娘が思想犯やスパイとして憲兵や特高などによって捕縛され緊縛され拷問を受けるといったシーンが当時の時勢を(実話かどうかは別として)物語っている[6]。
1950年(昭和25年)7月号(通刊22号)『珍談と奇聞特集號』
特徴:表紙絵も含め全ての挿絵を須磨利之が描いている模様。伊豆俊夫『地下組織の秘密ナイトクラブをえぐる』の挿絵に、単純ながら縛り絵が登場。
発行日:1950年(昭和25年)7月1日
巻号:通刊22号
価格:70円
ページ数:100ページ
口絵:巻頭グラビア『㐂夛玲子“肉体の街”をゆく 猟奇スケッチ行』(鏡の前で乳房を露出する女性の小さな写真が掲載)
主な記事:兵庫一平『古今川柳色自慢』(挿絵:どしゆき)、
絵師:酒井滋、㐂夛玲子、三平、としゆき、三郎、明石三平、京、S
その他:
1950年(昭和25年)9月号(通刊23号)『珍相実話特集』
特徴:ほとんど須磨利之と辻村隆で作っているようだ。コラージュであるが『玲子さん海へゆく』でヌード写真が登場している。
発行日:1950年(昭和25年)9月1日
巻号:通刊23号、第四巻 第八号(表紙記載)
価格:70円
ページ数:106ページ
写真と絵のコンポジット:『玲子さん海へゆく』(ヌード写真有り)
口絵:二色刷。山東京傳『江戸生艶気椛焼』の絵をどしゆき(4ページ)
主な記事:緑猛比古『将軍暁に死す』(挿絵:どしゆき)、緑猛比古『娘御開帳』(挿絵:須磨どしゆき)、信土寒郎『都会の溜息』(挿絵:三平)、 早乙女晃『未亡人占師』』(挿絵:㐂夛玲子)
絵師:明石三平、森あきら、けんも
その他:
1950年(昭和25年)10月号(通刊24号)『魅惑と猟奇特集』
特徴:第3種郵便物を取得したのが1950年(昭和25年)10月5日。縛りの挿絵が登場(緑猛比古『奴の小萬 女侠道中』など)。
発行日:1950年(昭和25年)10月1日
巻号:通刊24号、第四巻 第九号(表紙記載)
価格:円
ページ数:
グラビア写真:『喜多玲子猟奇スケッチ 裸詣りのぞ記』(構成:喜多玲子、写真:片山研二、モデル:中林カオル)
主な記事:片屋薫『女学生の私刑』の緊縛鞭打ち挿絵を喜多玲子名で、緑猛比古『奴の小萬 女侠道中』の縛りの挿絵を須磨としゆき名で描いている[8]。
絵師:須磨利之
その他:
1950年(昭和25年)12月号『古今珍談くらべ』
特徴:
発行日:昭和25年12月1日発行(奥付記載)
巻号:第25集(背表紙記載)、第四巻 第十一号(裏表紙記載)
価格:70円
ページ数:110ページ
主な記事:信土寒郎『都会の溜息』(挿絵:三平)、緑猛比古『愛怨比丘尼屋敷』(挿絵:須磨どしゆき)、杉山清詩『全裸の黒焦死体』(挿絵:㐂夛玲子)、岡村俊二『裸の踊り子』(縛り絵)(
絵師:曾根三太郎、沖研二、秋田冷光
その他:「読者の声」の欄がある。裏表紙には映画『鬼あざみ』(長谷川一夫主演)の広告。
1951 年(昭和26年)
実話なのかどうか不明だが、須磨利之はこの頃、飛田遊郭で「縛られ女郎ショー」をやっていたと言われている。須磨利之が実践としての緊縛を本格化するのは、この頃なのかもしれない。少なくとも、この頃には、ヌード撮影を頻繁におこなっていたようである。この年の7月頃には、辻村隆や吉田稔もヌード写真の撮影をおこない、それが奇譚クラブ1952年の1月号に掲載されているとされている[9]。その後に辻村隆は立花郁子を用いて、初の緊縛写真を撮影しているようだ[9]。
1951年(昭和26年)1月号(通刊26号)『異色愛欲譚』
特徴:「辻村隆」の名前が登場。巻頭に構成・片山研二による「裸女モンタージュ」。二色グラビアでは田辺節夫『暗黒のヴィナス』の須磨としゆきの挿絵。続いて明石三平の長編漫画『内股彫謎刺青』。松井籟子の名も見える。
発行日:
巻号:「第二十六集」
価格:70円
ページ数:110ページ
主な記事:松井籟子『肉体の陰火』(挿絵は須磨としゆき)、信土寒郎『恋の四十八手』(挿絵は明石三平)、、辻村隆『産婦人科医 重利先生行状記』(挿絵は沖研二)、早乙女晃『呪われた紅人魚』(挿絵は箕田京)
絵師:曽根さん太郎、曽根三太郎、田中比呂志、沖研二、天野健、今畿久蔵、山田清薫
その他:
1951年(昭和26年)2月号『珍談と艶笑読物集』
特徴:箕田京太郎の変名が使われている。
発行日:1951年(昭和26年)2月1日
グラビア写真:『我輩はのぞき眼鏡である』(構成:曽根三太郎、詩:サトウ・ロクロー)
主な記事:綠猛比古『愛染春雨草紙』(挿絵は須磨としゆき)、吉丘垣根『珍談小説 耳掃除異聞』(挿絵は箕田京太郎)、
1951年(昭和26年)3月号『軟派小説決定版』
特徴:大きくエロ路線に舵を切っている。巻頭多色刷りグラビアでは片山薫『責めの狂艶絵巻 遊女葦水の最後』のとしゆきの挿絵。堂々と縛り場面が描かれている。続いて、笠置良夫『泥沼に喘ぐ女』の箕田京二の挿絵。続いて「春へのあこがれ」で美濃村晃構成のヌード写真が4ページにわたり掲載。撮影は二宮哲夫。沖研二構成のヌード写真「扉のかなた」も。美濃村晃の変名はこの号で最初に使われたのかもしれない。
発行日:1951年(昭和26年)3月1日
巻号:
価格:80円
ページ数:110ページ
主な記事:片山薫『責めの狂艶絵巻 遊女葦水の最後』(挿絵はとしゆき)、笠置良夫『泥沼に喘ぐ女』』(挿絵は箕田京二)、辻村隆『産婦人科医 重利先生行状記』(挿絵は沖研二)、直木竜史『哀艶情歌』(挿絵は美濃村晃)、松井籟子『恋責め』(挿絵は㐂夛玲子)
絵師:加住としを、天野健、曾根三太ろ、明石三平、田中比呂志、沖研二、池中味、森あきら
その他:裏表紙にはストリップ劇場の「道劇」の広告。
1951年(昭和26年)4月号『妖色讀物決定版』
特徴:綠猛比古と今畿久蔵のコンビによる時代物責め物語がこの頃から始まっている。
発行日:1951年(昭和26年)4月1日
巻号:第5巻第3号
価格:90円
ページ数:110ページ
グラビア:写真コラージュで「お尻 おしり オシリ」構成:美濃村晃、詩:サトウ・ハチロー、三宅リラ子『空閨未亡人倶楽部』の箕田京二による多色刷り挿絵。
主な記事:三宅リラ子『空閨未亡人倶楽部』(挿絵は箕田京二、加茂川清子『ミス京都の痴戯』(挿絵は沖研二、松井籟子『女体燃ゆれど』(挿絵は㐂夛玲子)、葦田郁也『好色滑稽譚』(挿絵は美濃村晃)、綠猛比古『傾城恋飛脚』(挿絵は今畿久蔵)
絵師:美濃村晃、㐂夛玲子、沖研二、今畿久蔵、箕田京二、松岡敏一、曾根三太郎、森あきら、秋田冷光、志乃田よしろう、田中比呂志、明石三平、峯玄太
その他:裏表紙にはストリップ劇場の「道劇」の広告。
1951年(昭和26年)5月号『われ女群に包囲さる』
特徴:巻頭二色刷りイラストに縛りのシーンがある。グラビアページに「構成・美濃村晃、詩・サトウロクロー」で『ヌードは踊る』。ストリップの写真を用いたコラージュ作品。「奇譚新聞」内に「サジズムの婦人求む強力な程良、石臼の如き臀を有する方、マゾヒズム男」と「珍妙案内広告」。挿絵はほぼ須磨利之一人で書いていると思われる。
発行日:1951年(昭和26年)5月1日
巻号:第5巻第5号
価格:90円
ページ数:110ページ
主な記事:信土寒郎『奇譚百話 都會の溜息』(挿絵は明石三平)、高村暢児『わが口髭に悔いありき』(挿絵は曾根三太郎)、松井籟子『裸身の魔女』(挿絵は喜多玲子)
絵師:明石三平、箕田京二、志乃田よしろ、今畿久蔵、峯玄太、松岡敏一、曾根三太郎、森あきら、秋田冷光、沖研二、天野健、美濃村晃、喜多玲子、加住としを、竹中英二郎
その他:
1951年(昭和26年)6月号
特徴:続いてヌード写真が出ているが、構成や撮影が個人名でなく「本社写真部特写」となった。
発行日:1951年(昭和26年)6月1日
巻号:第5巻第6号
価格:90円
ページ数:120ページ
グラビア:多色刷り挿絵が箕田京二の『奈落の情怨』と加茂三千彦『娘相撲部屋参観記 八重椿対乳張山の決闘』の挿絵。写真は「本社写真部特写」で「觸っちゃ嫌よ」誌上ストリップショウ「ポッポ売り娘」。
主な記事:木之下白蘭『日鮮混血児』(挿絵は美濃村晃)、加茂三千彦『娘相撲部屋参観記 八重椿対乳張山の決闘』(挿絵は美濃村晃)、綠猛比古『恋八卦色曆』(挿絵は今畿久蔵)、加茂川清子『女学生桃色遊戯図』(挿絵:沖研二、松井籟子『女情痴作家』(挿絵は㐂夛玲子)、杉山清詩『ラムネ爆発事件』(挿絵は沖研二)、三宅リラ子『女は泥濘の中にいた(挿絵は箕田京二)
絵師:美濃村晃 、㐂夛玲子、箕田京二、志乃田よしろ−、志乃田よしひろ、明石三平、今畿久蔵 、曾根三太郎、森あきら、竹中英二郎、沖研二、秋田冷光、田中比呂志
その他:
1951年(昭和26年)7・8月合併号
特徴:
発行日:1951年(昭和26年)7月1日
巻号:第5巻第7号
価格:90円
ページ数:120ページ
グラビア:杉山清詩『獣獄』の箕田京二による多色刷り挿絵。早乙女晃『唄祭次郎吉囃子』の須磨としゆきによる多色刷り挿絵。「本社写真部特写」によるヌード写真。
主な記事:中村米蔵編集による『奇譚 うそ新聞』。杉山清詩『獣獄』(挿絵は箕田京二)、早乙女晃『唄祭次郎吉囃子』(挿絵は須磨としゆき)、矢代文世『愛情のトリック』(挿絵は美濃村晃)、松井籟子『秘めたる炎』(挿絵は㐂夛玲子)、木之下白蘭『日本人と朝鮮人』(挿絵は美濃村晃)
絵師:須磨としゆき、美濃村晃、箕田京二、竹中英二郎 、曾根三太郎 、森あきら、志乃田よしろ、松岡敏一
その他:
1951年(昭和26年)9月号
特徴:
発行日:1951年(昭和26年)9月1日
巻号:第5巻第9号
価格:90円
ページ数:120ページ
グラビア:中澤公平『成吉思汗の死』の箕田京二による多色刷り挿絵。早乙女晃『国際女奴隷船』の㐂夛玲子による多色刷り挿絵。「本社写真部特写」によるヌード写真「森の精と水の精」。
主な記事:『奇譚滑稽新聞』。真木竜史『愛憎の崖』(挿絵は美濃村晃)、早乙女晃『国際女奴隷船』(挿絵は㐂夛玲子)、三宅リラ子『海濱の情痴』(挿絵は今畿久蔵)、中澤公平『成吉思汗の死』(挿絵は箕田京二)、愛山久『不良少女マリ』(挿絵は志乃田よしろ)
絵師:美濃村晃、MINOMURA、㐂夛玲子、箕田京二、今畿久蔵、たけなかえいじろ、三平、曾根三太郎、松岡敏一、志乃田よしろ、秋田冷光 、峯玄太
その他:裏表紙は次号の予告。
1951年(昭和26年)10月号
特徴:「飛田遊郭」の特集。目次ページが折り込みの変形になっている。
発行日:1951年(昭和26年)10月1日
巻号:第5巻第10号
価格:90円
ページ数:120ページ
グラビア:多色刷りで縛りの挿絵。写真は「本社写真部特写」でヌードのみ。
主な記事:「飛田遊郭」の特集。松井籟子『泡沫の痴戯』(挿絵は㐂夛玲子)、相模八郎『女と女の決闘絵巻』
絵師:須磨としゆき、美濃村晃、㐂夛玲子、今畿久蔵 、曾根三太郎、森あきら、沖研二、さの瓢人、秋田冷光、志乃田よしろう、玄太、さの瓢人、加住としを、甘井紋太
その他:裏表紙は天下茶屋の旅館「五月花壇」の広告。
1951年(昭和26年)11月号
特徴:写真グラビアは16ページと増える。この号の口絵のモデルが、1952年(昭和27年)5・6月号『戦爭と性慾特輯号』のモデルと同一らしい[10]。特集「女ばかりの世界を暴く」
発行日:
巻号:
価格:90円
ページ数:132ページ
グラビア:『ヌードアルバム傑作集』「女闘美』。モデル嬢年齢当て捨万円大懸賞で12人のモデルが出ている。
主な記事:笹田豊『こんと。あまとりあ』(挿絵は沖研二)、日尾灘郎『ジャングルの凌辱』』(挿絵は箕田京二)、柊淳『囚人男色記』(挿絵は秋田冷光)、矢代文世『泥まみれの思春期』(挿絵は 㐂夛玲子)
絵師:美濃村晃 、㐂夛玲子、箕田京二、三平、今畿久蔵 、曾根三太郎、森あきら、竹中えいぢろ、沖研二、さの瓢人、秋田冷光、山彫三
その他:裏表紙は天下茶屋の旅館「五月花壇」の広告。
1951年(昭和26年)12月号『男色天国繁昌記』
特徴:編集人が吉田稔から箕田京二に交代。口絵(カラー)にて本格的な今畿久蔵の縛りの絵。グラビア『人肉市場』で軽い縛りの写真。
発行日:1951年(昭和26年)12月1日
巻号:第5巻第12号
価格:90円
ページ数:132ページ
主な記事:緑猛比古『殺人淫楽症の女』(挿絵は今畿久蔵)、杉山清詩『食人ホテルの惨劇』(挿絵は箕田京二)、
絵師:美濃村晃、㐂夛玲子、今畿久蔵、峯玄太、加住としを、森あきら、箕田京二、須磨としゆき、磯田卓司
その他:裸体美人写真実費分譲の広告。
1952年(昭和27年)
B5版からA5版への生まれ変わる記念すべき年である。この年の6月に辻村隆は川端多奈子と初めて出会い緊縛写真を撮る。川端多奈子は、それ以前に既に1,2度、箕田京二のヌードモデルをやっていた[11]。
1952年(昭和27年)1月号
特徴:巻頭に奇譚クラブ初と思われるカラーのグラビア写真が掲載されている[6]。1951年(昭和26年)の7月頃、辻村隆や吉田稔が3人のモデルを使いヌード写真の撮影をおこない、それがこの号に「新春浴場」として(実際にはその様なタイトルの記載は無いが、それらしき3人の女性が入浴している風景のグラビアは有る[6])グラビアに掲載されているとされている[9]。
発行日:1952年(昭和27年)2月1日
巻号:6巻1号
価格:90円
ページ数:132ページ
グラビア:ヌード写真があるが縛りはなし。
主な記事:二俣志津子『賭犠』(挿絵は㐂夛玲子)、片山薫『拷問』(挿絵は須磨としゆき)、綠猛比古『艶色晝夜帯』(挿絵は今畿久蔵)、土俵四股平『相撲鼻花』
絵師:須磨としゆき、㐂夛玲子、美濃村晃、今畿久蔵、曾根三太郎、沖研二、浦井弱、宮内三郎、森あきら
その他:裏表紙は近畿図書の『水滸伝』の広告。
1952年(昭和27年)2月臨時増刊号『魅惑』
特徴:創刊六周年記念特別号
発行日:1952年(昭和27年)2月1日
巻号:6巻2号
価格:90円
ページ数:120ページ
主な記事:杉山清詩『桃色の蜃気楼』
絵師:須磨としゆき、今畿久蔵、箕田京二、曾根三太郎、たけなかえいじろ、志乃田よしろう、御影太郎、亀井七郎、浦井弱、神戸公子、秋田冷光、森あきら
その他:
1952年(昭和27年)3月号『3月特大号』
発行日:1952年(昭和27年)3月1日
巻号:6巻3号
価格:90円
ページ数:126ページ
グラビア:多色刷りの『怪異海老責縁起』の挿絵。『男娼協同組合」。写真はただのヌード。
主な記事:綠猛比古『怪異海老責縁起』(挿絵は御影太郎)
絵師:須磨利之、S としゆき、美濃村晃、喜多玲子、今畿久蔵、曾根三太郎、えいじろ、志乃田よしろう、沖研二、城㟢浩、松野健、御影太郎
その他:
1952年(昭和27年)4月号『4月躍進号』
発行日:1952年(昭和27年)4月1日
巻号:6巻4号
価格:90円
ページ数:
グラビア:「新世界ジャンジャン横町」特集。写真も交えたもの。
主な記事:松井籟子『雌蛇』(挿絵は㐂夛玲子)、岡田咲子『巫女屋敷の責め繪巻』(挿絵は喜多玲子)、綠猛比古『まくろ絵詮議』(挿絵は今畿久蔵)
絵師:須磨としゆき、美濃村晃、喜多玲子、㐂夛玲子、今畿久蔵、曾根三太郎、秋田冷光、田中比呂志、えいじろ、志乃田よしろう、薄田寛二、さの瓢人、
その他:美輪明宏のデビューに合わせたのか、或いは宝塚歌劇のヒットに合わせたのか、中性的で男性とも女性とも判別の付かないバイセクシャルな表紙が新しい時代を予感させている[6]
1952年(昭和27年)A5版時代
1952年(昭和27年)5・6月号『戦爭と性慾特輯号』
この号よりA5版となる。表紙は6月号となっており、発行日も6月1日でだが、奥付では「第6巻第5号、新綠五・六月合併号」となっている。『處女と蛇』で縛りの写真が出ているがまだ本格的なものではない。モデルは1951年(昭和26年)11月号のモデルと同一らしく「彼女に対する最初の縛り」「紐の端を握って貰い」「あとで二巻きは、書き加えたという苦心の作品」とある[10]。
1952年(昭和27年)7月号(通刊45号)『女天下時代特集号』
表紙裏と目次裏に3人のモデルの本格的な緊縛写真。1951年(昭和26年)12月号の恥じらう娘三態と同じモデル。1951年(昭和26年)11月号にも出ている[10]
1952年(昭和27年)8月号(通刊46号)
『男色天国繁昌記画集』が特集され、緊縛写真は縛られたる女と緊縛美の斷片。既出の3名に加えて新しく2名のモデルが登場[10]。緊縛美の斷片の木の傍で縛られているのは辻村隆による立花郁子の緊縛[9]。縛られたる女に全身像が写っているもう一人の新人は急場の間に合わせで頼んだモデル[10]。『責め女の写真実費分譲』第一篇〜第三篇の案内。A5版になってから、ここまで6名のモデルが登場。分譲写真では全身像などが写っている[10]。
1952年(昭和27年)9月号(通刊47号)
緊縛写真はほとんどないが、僅かに辻村隆による川端多奈子の緊縛の美女と紐と肌が目立たないように使われている。分譲写真をピックアップして使ったもの[10]。分譲写真の第四篇が追加。第三篇、第四篇は川端多奈子が中心。
1952年(昭和27年)10月号(通刊48号)
辻村隆による第2回か第3回の川端多奈子の緊縛写真が複数掲載されている。緊縛の美 縛られた女の写真に後手高手小手。後に「只単に女体に縄を掛けてみるという域から脱して、これを芸術的な『美』にまで高めてゆこうという処に、緊縛芸術の新しい展開があったといっても過言ではないでしょう。」と評される[10]。他に腰のエロス、足の表情、手の表情、足の表情、手の表情、肉體的疼愛。分譲写真の第五篇が追加。須磨利之の1951年(昭和26年)代の責めの挿絵がまとめて紹介されている。
1952年(昭和27年)11月号(通刊49号)
『宗教刑罰戦慄画譜』が特集され、緊縛写真は唯一辻村隆によるの川端多奈子の緊縛の受難のみ。藁の荒縄を用いている[10]。分譲写真の第六篇が追加。逆さ吊り写真が分譲されている。
1952年(昭和27年)12月号(通刊50号)
辻村隆によるの川端多奈子の緊縛写真が複数。縛った女を写す。狸吊りの写真も。
エピソード
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 龍之巣:奇譚クラブの原点を探る
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 龍之巣:初期の奇譚クラブに対して行なわれた検閲の実態にてカストリ時代に行なわれていた検閲の実態が暴かれている。
- ↑ 3.0 3.1 美濃村晃『縄の交友録第2回 「奇譚クラブ」の初期の人々』 緊美研通信第5号 1990年(平成2年)8月1日
- ↑ 平岡正明『縄師美濃村晃と結び目の謎』in 「変態的」(ビレッジセンター出版局, 1996)
- ↑ 懐かしき奇譚クラブ、esme氏情報。
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 龍之巣:奇譚クラブ (雑誌) 一覧に掲載されている
- ↑ この本は滋賀県立大学 図書情報センター 陳コレクション に保管されている。陳コレクションとは神戸市須磨区にて中国からの輸入書籍を販売する書店を経営していた華僑の陳徳勝氏による個人蔵書である。
- ↑ 辻村隆『本誌の旧号に現れた責繪』奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号, グラビア
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 10.7 10.8 覆面子白頭巾『緊縛フオトと緊縛モデル夜話』奇譚クラブ1959年(昭和34年)4月臨時増刊 SADO特集号第2集, p68
- ↑ 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号
注釈
- ↑ 織田作之助は既に 1947年に死んでいる。
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- 白表紙
吉田稔、須磨利之、辻村隆、塚本鉄三、杉原虹児、伊藤晴雨、濡木痴夢男、中康弘通、沼正三、森下高茂、団鬼六、山岸康二、千草忠夫、芳野眉美、朝野祐、 喜多玲子、滝麗子、都築峰子、北原純子、畔亭数久、南村俊平、南川和子、小妻容子、四馬孝、春川ナミオ、室井亜砂二、 切腹、 灸、 女斗美、 ネクタール、 乗馬、 ラバー・ゴム、 スパンキング、 ソドミア、 鼻責め、 猿轡、 蜂胴、 浣腸、 六尺、 脚、 磔、 ゼンタイ ミイラ縛り