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*緊縛師が前面に出てくる、[[雪村春樹]]のスタイルを始めたのが[[高槻彰]]。 | *緊縛師が前面に出てくる、[[雪村春樹]]のスタイルを始めたのが[[高槻彰]]。 | ||
*4D時代に歌舞伎町の風俗ルポビデオ作製時に竹下ゆかりを見いだす。 | *4D時代に歌舞伎町の風俗ルポビデオ作製時に竹下ゆかりを見いだす。 | ||
*'''平野勝之'''は'''シネマユニット・ガス'''の社員だった。 | |||
==代表作== | ==代表作== | ||
*『ザ・本番 女体フルコース篇』([[にっかつ]], 1986)監督:[[高槻彰]] | *『ザ・本番 女体フルコース篇』([[にっかつ]], 1986)監督:[[高槻彰]] |
2013年1月4日 (金) 15:13時点における版
たかつき あきら、1959年(昭和34年)-
概要
大学時代にピンク映画やにっかつの助監督をやり、1983年にAV業界入り。
別名
略歴
1979年(昭和54年)、大学に入学。映画研究会に入る。ピンク映画の助監督のアルバイトを始める[1][注 1]。
1982年(昭和57年)頃、代々木忠の映画『ザ・オナニー』の撮影手法に衝撃を受け、ビデオの時代が来ることを確信する[1]。
1982年(昭和57年)、宇宙企画「ビデオボーイ」での田所裕美子ちゃんの初ヌードコーナーを初めてプロとして演出[1]。
1983年(昭和58年)頃、ボルドーの八神康子出演のビデオ撮影などを手伝う。ボルドーはピンク映画系列[1]。
1983年(昭和58年)、大学卒業。ビデオ制作会社4Dに就職。小路谷秀樹と出会う[1]。
1985年(昭和60年)、4Dを退社して「(有)カンノンシネマワークス」を設立。社長は坂本政志。宇宙企画、VIP、日活などの作品を製作[1]。
1986年(昭和61年)、にっかつ『ザ・本番』シリーズを監督[注 2]。
1988年(昭和63年)、カンノンシネマワークスを閉じてシネマユニット・ガスを設立。宇宙企画・アトラス21・V&Rプランニング・JHV・シネマジックなどの作品を製作[1]。
エピソード
代表作
- 『ザ・本番 女体フルコース篇』(にっかつ, 1986)監督:高槻彰
- 『ザ・本番 女子大生振り袖パーティ』(にっかつ, 1987)監督:高槻彰
- 『ナマ本番・同棲』(にっかつ, 1987)監督:高槻彰
- 『ザ・本番 アイドル歌手篇』(にっかつ, 1987)監督:高槻彰
- 『裏・本番 陶酔ビデオクィーン』(にっかつ, 1987)監督:高槻彰
- 『緊縛パフォーマンス』(シネマジック, 1994) 監督:高槻彰、出演:濡木痴夢男、雪村春樹、根暗童子、美里リナ
- 『私が緊縛されたい理由/明智伝鬼のM女開発調教』(シネマジック, 2003) 監督:高槻彰、出演:栗栖ゆみ、黒田ねこ
- 『私が緊縛されたい理由・2/明智伝鬼のM女開発調教』(シネマジック, 2003) 監督:高槻彰、出演:宮地奈々、安倍美咲
- 『私が緊縛されたい理由・3/濡木痴夢男のM女開発調教』(シネマジック, 2004) 監督:高槻彰、出演:緒川さら、真咲菜々