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1943年(昭和18年)2月23日、奈良県に生まれる。
1943年(昭和18年)2月23日、奈良県に生まれる。


早稲田大学文学部哲学科中退。
1950年代、早稲田大学文学部哲学科入学。


土方巽に師事。
1950年代、山本安英の「ぶどうの会」に入団するが、劇団は半年後に解散。


1964年(昭和39年)、唐十郎の劇団状況劇場に参加。
1964年(昭和39年)、唐十郎の劇団状況劇場に参加。同じ頃、土方巽のアトリエに出入りするようになり、金粉ショーのアルバイト。


1969年(昭和44年)12月12日、唐十郎の状況劇場と[[天井桟敷]]が乱闘事件。[[寺山修司]]、[[橋本光史]]、唐十郎、[[麿赤兒]]らが逮捕。
1969年(昭和44年)12月12日、唐十郎の状況劇場と[[天井桟敷]]が乱闘事件。[[寺山修司]]、[[橋本光史]]、唐十郎、[[麿赤兒]]らが逮捕。

2012年9月2日 (日) 15:11時点における版

まろ あかじ、1943年(昭和18年)2月23日ー

概要

舞踏家、演出家。SM文化とは直接関係はないが、あちらこちらで接点がある。

別名

略歴

1943年(昭和18年)2月23日、奈良県に生まれる。

1950年代、早稲田大学文学部哲学科入学。

1950年代、山本安英の「ぶどうの会」に入団するが、劇団は半年後に解散。

1964年(昭和39年)、唐十郎の劇団状況劇場に参加。同じ頃、土方巽のアトリエに出入りするようになり、金粉ショーのアルバイト。

1969年(昭和44年)12月12日、唐十郎の状況劇場と天井桟敷が乱闘事件。寺山修司橋本光史、唐十郎、麿赤兒らが逮捕。

1972年(昭和47年)、大駱駝艦を設立、

1973年頃、玉井敬友シアター喫茶・スキャンダルにて玉井敬友と共に坂本龍馬の寸劇を公演している。

エピソード

  • 麿赤兒の初監督作品が花真衣主演の『性獣のいけにえ』[1]
  • 玉井敬友麿赤兒の大駱駝艦稽古場(大森)にしばしば足を運び舞踏の基礎を学んでいる[2]
  • 「山海塾」の天児牛大など著名な舞踏家が大駱駝艦出身。

代表作

  • 荒野のダッチワイフ』(国映, 1967.10.3)(製作:矢元照雄、監督・脚本:大和屋竺、撮影:甲斐一、音楽:山下洋輔、出演:渡みき 港雄一 山本昌平 津崎公平 辰巳典子 麿赤兒 大久保鷹 山谷初男) 
  • 性獣のいけにえ』(オフィスツー, 1984.7)(配給:新東宝、製作:大阿久和夫、監督:磨赤児、脚本:丸山良尚、出演:花真衣紫衣名 伊藤清美 古川あんず 三宅優司 松田政男 大杉漣)

引用文献

  1. Focus, 1984年(昭和59年)6月8日号
  2. 玉井敬友 私信 to U, 2012.8.30

注釈

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