「2011年(平成23年)のSM動向」の版間の差分
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伝統的な昭和SM文化に重きを置く人々にとっては、[[一鬼のこ]]の新しい挑戦は、眉をひそめざるを得ない行為なのであろうが、SM文化が生きた文化として今後も続くためには、このような伝統の破壊者がコンスタントに出現する必要があるのであろう。[[一鬼のこ]] | 伝統的な昭和SM文化に重きを置く人々にとっては、[[一鬼のこ]]の新しい挑戦は、眉をひそめざるを得ない行為なのであろうが、SM文化が生きた文化として今後も続くためには、このような伝統の破壊者がコンスタントに出現する必要があるのであろう。[[一鬼のこ]]のパフォーマンスに魅せられている若者達は、いわゆる昭和SMを愛好した人々の感性とは異なっている。何かとてつもない新しいものが生まれるかも知れないと、ワクワクさせる[[一鬼のこ]]と、その影響を受けたたくさんの若手緊縛師の動きは、来年も引き続き注目に値する。 | ||
[[一鬼のこ]]が尊敬する緊縛師として名を上げているのが[[明智伝鬼]]である。[[明智伝鬼]]が亡くなり、既に数年以上が経ってしまった。[[明智伝鬼]]に近い人が「最近では若い人で明智さんの名前も知らない人がいるのですよ」と嘆かれるのを耳にしたのも今年であった。[[明智伝鬼]]に直接・間接影響を受けた緊縛師は数多くいるが、その中でも、今年特に注目したいのが、[[神凪]]である。 | [[一鬼のこ]]が尊敬する緊縛師として名を上げているのが[[明智伝鬼]]である。[[明智伝鬼]]が亡くなり、既に数年以上が経ってしまった。[[明智伝鬼]]に近い人が「最近では若い人で明智さんの名前も知らない人がいるのですよ」と嘆かれるのを耳にしたのも今年であった。[[明智伝鬼]]に直接・間接影響を受けた緊縛師は数多くいるが、その中でも、今年特に注目したいのが、[[神凪]]である。 |
2011年12月30日 (金) 22:02時点における版
概略
東日本大震災、政治の混迷、異常な円高、製造業の不振・・・と今年も暗い話題がつきない、長期凋落傾向の続く日本だが、SM文化関連の活動に関しては、昨年に引き続き上向きだったと結論してもよいであろう。
以下、あくまでも私見ではあるが、2011年(平成23年)の日本SM文化の動きを記録のためにまとめておきたい。なお、文中全ての敬称を省略していることを予めお詫びしておく。
若手・中堅緊縛師の精力的な活動
一昔前、SM文化を伝承する若手緊縛師が育っていないことが問題とされていた時期があった。SM雑誌やSMビデオ文化が急速に萎みだし、このまま日本SM文化が消滅していくのでは心配された時期と重なると思われる。
ところがこの何年かの動きを眺めてみると、30代、さらには20代の若手緊縛師の活躍が際立っているのがわかる。先頭を走ったのは一鬼のこで、何年か前から、緊縛の新しい表現の「場」と「方法」を開拓している。ハプニングバーという新しいプレゼンテーションの場を利用しながら、2011年(平成23年)も、さらに広い分野のアーティストとコラボレーションしながらSM文化の可能性を追求している。
伝統的な昭和SM文化に重きを置く人々にとっては、一鬼のこの新しい挑戦は、眉をひそめざるを得ない行為なのであろうが、SM文化が生きた文化として今後も続くためには、このような伝統の破壊者がコンスタントに出現する必要があるのであろう。一鬼のこのパフォーマンスに魅せられている若者達は、いわゆる昭和SMを愛好した人々の感性とは異なっている。何かとてつもない新しいものが生まれるかも知れないと、ワクワクさせる一鬼のこと、その影響を受けたたくさんの若手緊縛師の動きは、来年も引き続き注目に値する。
一鬼のこが尊敬する緊縛師として名を上げているのが明智伝鬼である。明智伝鬼が亡くなり、既に数年以上が経ってしまった。明智伝鬼に近い人が「最近では若い人で明智さんの名前も知らない人がいるのですよ」と嘆かれるのを耳にしたのも今年であった。明智伝鬼に直接・間接影響を受けた緊縛師は数多くいるが、その中でも、今年特に注目したいのが、神凪である。
神凪は、明智伝鬼の晩年に緊縛師として登場し、2002年(平成14年)頃から緊縛師としての活動を開始した。精力的な活動をしていたのだが、2000年代半ばに突如SMシーンから姿を消してしまった。神凪の復活を望む声もたくさん聞いたが、どこで何をしているかを知っている人も少なく、「謎の緊縛師」として伝説化されつつつあった。
そんな神凪が突然復活したのが、1昨年12月のシアターPOOの舞台。今年に入って、またたくまに神凪旋風を引き起こし、SMシーンの活性化に大きく貢献している。
初期のパフォーマンスは明智伝鬼のコピーの域を出なかった神凪だが、今では完璧に独自の世界を確立し、その強いカリスマ性から、多くの緊縛を勉強中の人々の心を掴んでいる。神凪に憧れて緊縛を始め、今年注目の中デビューしたのが鵺神蓮だ。明智伝鬼の血が、一鬼のこ、神凪、さらにその下の世代へと、進化しながら伝わっているのが、日本SM文化がまだまだ生きた文化として続いている証拠であろう。
若手・中堅・ベテラン・御大、とどこで線引きをしてよいのか難しいところだが、中堅緊縛師で今年活躍が目立ったのが、奈加あきらと風見蘭喜であろう。
今年目立った若手で紹介した緊縛師が明智伝鬼の影響を受けた人々だったのに対して、奈加あきらは、濡木痴夢男の影響を大きく受けた、いわゆる「昭和SM」のテイストを受け継ぐ緊縛師である。特に今年は、古びた和風スタジオで『縄奈加會』をスタートしたのが注目される。
本格的な緊縛師としての活動を開始してまだそれほど年数が経っていない風見蘭喜だが、関西を本拠地にしながらも関東でも積極的にパフォーマンスを繰り広げ、9月にはロンドンでも公演をおこなっている。
新境地を開拓しつつある若手緊縛師、やることなすこと楽しくてたまらないといった感じの脂ののった中堅緊縛師に加えて、いわゆる昭和SMを支えたベテラン緊縛師もマイペースで活動しているのが心強い。入院手術でファンを心配させた志摩紫光も退院後もコンスタントにサロンなどを開催しており、異分野とのコラボレーションでは先駆者である有末剛も、積極的に緊縛の新しい表現方法の開拓に取り組んでいる。あまり表だった活動をしていないかにみえる雪村春樹も神出鬼没にサロンやパーティーに顔を出し、健在ぶりをアピールしてくれた。ベテランと呼ぶのにも畏れ多い御大・濡木痴夢男もまだまだパワフルに創作活動をおこなっているのも嬉しい限りである。詳しくは紹介しなかったが、女性緊縛師も中堅・若手、活発に活動を続けている。もちろん、パフォーマンスなどの表に出る活動を避けて、少人数のサロンなどでSMを楽しむ中堅からベテランの質の高い緊縛師がたくさん存在することは言うまでもない。
若手から御大まで、全ての層でアクティヴに発信を続ける日本の緊縛師達、日本全体が元気のない今、是非見本となって来年も、世の中を活気づけていただきたい。
発信媒体はどう変貌するか?
SM文化の情報発信媒体を、印刷物や映像作品だけに限ると、かつてのSM雑誌、SMビデオの華やかな時代を知る者にとっては、現在のSM界は冷え切った、あるいは既に死んでしまった文化に見えるかもしれない。ただ、上でも紹介したように、SM愛好家は、ステージやサロン、他分野とのコラボなどのいろいろな媒体を使って活発に自己表現を続けている。
雑誌やDVDがインターネットにとってかわられるのでは、という可能性もあるが、複製が容易にできるインターネット世界で、どのようなビジネスモデルを立てるか、知恵の出しどころである。御大・杉浦則夫は2005年からインターネットで「杉浦則夫緊縛桟敷」を運営し、積極的に新作の制作・発信を続けている。今年に入って、「杉浦則夫緊縛桟敷」の前身である2002年の「公式電網雑誌」の仕掛け人でもある麻来雅人が「オンラインマガジンSM秘小説web」をスタートさせたのも注目される。とにかく何らかの形で、質の高い映像作品を制作・発信するシステムを残して(あるいは新たに創り出して)おかないことには、SM文化の広がりに限界が来てしまうであろう。
世界のKinbaku
インターネットの普及と同時に、日本SMが広く海外の人々の目に入るようになったのが、2000年前後と思われる。海外のKinbaku愛好家達は、ネットで手に入る緊縛写真などを頼りに、見よう見まねで日本式の縛りを、彼らのロープワークに取り入れてきた。2002年にはShibariconと呼ばれる「縛り」からネーミングされた大きなも縛りの催し物が始まり、現在まで続いている。ただし、これまではどちらからというと、海外からの片想いで、日本国内のSM愛好家は、あまりそういった海外の動きには興味を示さなかった。
有末剛は2009年(平成21年)から積極的に海外でのパフォーマンスや緊縛教室を始め、英語をベースとした緊縛教材も製作している。また、日本を本拠地とする長田スティーブも、母国のドイツやオーストラリアなどで緊縛教室を開催している。
今年の1月には一鬼のこが「冬縛-World Bondage event」を企画し、海外の米国のMidori/美登里や英国のEsinemを呼んできている。これが縁と思われるが、次に、Esinemがロンドンで9月に主催した「ロンドン緊縛美の祭典」には、一鬼のこ、風見蘭喜、海月くらげ、エロ王子、紫護縄びんご、音縄、吉田よいらの国内中堅・若手緊縛師が参加した。この「ロンドン緊縛美の祭典」は、今年が第3回目で、昨年の第2回には一鬼のこが招待されている(1回目は日本からの参加はなかった)。本格的なKinbaku文化の世界交流が始まった年といえる。
この流れとパラレルに、日本のSM愛好家の多くがインターネットを通じて海外の人達と交流を開始しているのも今年の大きな特徴であろう。MixiでのSM関係の情報交換が難しくなったことも有り、おおくの日本人SM愛好家が、Facebook, FetLifeなどの英語をベースとするSNSに参加し、海外の人達との交流を深め始めた。
これまでは日本人を抜きに世界のKinbakuブームが進んできた。今後は次のKinbaku文化の進化の過程に、われわれ日本人が積極的に関わりを求められるであろう。
9月にはイタリアで、死亡につながるなんとも悲惨なSM事故がおこってしまった(「ローマSM事故」)。マスコミには『日本式Shibariセックスゲームで学生が死亡』とスキャンダルに報道され、Kinbakuブームの逆風になるかとも心配された。Kinbakuブームが表面的で一時的なものとして終わらないようにするためにも、積極的に日本のしっかりとした緊縛師が、海外の愛好家達に技術を伝えていくことが大切となってくるのであろう。
昭和SMを築き上げた人々とのお別れ
5月6日は、昭和SM文化の形成に中心的役割を果たした団鬼六が永眠した。9月に入り、小妻要、春日章と立て続けにSM絵画界の巨匠を失う。9月にはまた、六本木薫らとSM写真集を80年代に初期に出した石垣章が亡くなっている。11月に亡くなった立川談志もプライベートでSMを愛好していたことで知られている。われわれが現在享受している、層の厚い日本SM文化は、これらの人々が苦労しながら築き上げてきた土台の上になりたっていることを今一度思い起こしたい。合掌。