「島本春雄」の版間の差分
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1957年(昭和32年)、小学生毎日新聞に連載していた『'''白蟻城'''』が[[新東宝]]より映画化。 | 1957年(昭和32年)、小学生毎日新聞に連載していた『'''白蟻城'''』が[[新東宝]]より映画化。 | ||
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2011年2月15日 (火) 09:10時点における版
しまもと はるお、1923年(大正12年)4月25日-2008年(平成20年)11月16日
概要
裏窓、「妖奇」などに伝奇作品を発表。日本推理作家協会名誉会員。
別名
略歴
1923年(大正12年)、大阪市に生まれる[1]。
1930年代、大阪府立堺工業高校卒業。
1950年(昭和25年)、「妖奇」に『振袖小姓捕物控』を毎月連載[1]。挿絵は中島喜美。
1950年代後半、久保書店で編集に携わり、「マンハント」にて短編を翻訳[1]。
1957年(昭和32年)、小学生毎日新聞に連載していた『白蟻城』が新東宝より映画化。
エピソード
代表作
- 島本春雄『やわ肌絵図―振袖小姓捕物控』(久保書店, 1955)[注 1]挿絵は喜多玲子[2]。
- 島本春雄『裸女地獄―振袖小姓捕物控』(久保書店, 1956)
- 島本春雄『乱れ夜探り―秘冊・隠密覚書』(あまとりあ社, 1957)
- 島本春雄『濡れた夜曲―妖美艶色秘話』(あまとりあ社, 1959)
- 島本春雄『忍び夜秘帖』(あまとりあ社, 1959?)(装幀:喜多玲子)
- 島本春雄『顔の二つある侍』裏窓1959年(昭和34年)7月号, p88(挿絵:山田彬弘)。
映画
引用文献
注釈
- ↑ 「妖奇」に連載していたものを書籍化