「賀山茂」の版間の差分
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2011年1月15日 (土) 12:15時点における版
かやま しげる、1928年(昭和3年)?-
概要
緊縛師。実業家。映画製作。ビデオ制作。
別名
Shigeru Kayama、芳賀吉孝(本名)、賀山芳男
略歴
1950年(昭和25年)頃、「早稲田の学生時代・・映画の撮影場所に入り浸り、劇場にたむろする」生活を送っていたとある[1][注 1]。
1954年(昭和29年)、上田青柿郎の「縛りの撮影会」で緊縛を学ぶ[2]。当時、上田は辰巳出版にいたようだ[1]。
1965年(昭和40年)頃、奇譚クラブ主催の「山原清子[注 3]の刺青完成会」に出席[2]。
1966年(昭和41年)頃、団鬼六から谷ナオミを紹介される[1]。
1968年(昭和43年)、団鬼六の『赤い拷問』(ヤマベ・プロ)のロケの見学。
1969年(昭和44年)、芳賀書店から出た団鬼六の『緊縛写真集』の製作に関与。
1979年(昭和54年)、六本木にSMサロン「SAMM」オープン[1]。
1980年(昭和55年)、早乙女宏美[1]や森美貴[3]がSAMMに参加。
1981年(昭和56年)、サム・ビデオ・センター設立。
1982年(昭和57年)、「復刊奇譚クラブ」の発刊に関与[注 4]。
1983年(昭和58年)、にっかつ「蛇の穴」の緊縛指導。
1984年(昭和59年)、芳友社設立。SAMMはメインレーベル。
2005年(平成17年)、ホームページ『賀山茂の世界』を開始(既に閉鎖)。
h.m.p、芳友舎、銀河映像、ビデオバンク、メディア・ジャック、メディア・ワーク・ステーションからなる『芳友グループ』の会長。
エピソード
- 芳賀書店の芳賀家とは関係なし。
- ホウショウルビーの馬主としても有名。
代表作
映画
- 『団鬼六 蛇の穴』(1983.2.25)(製作:鬼プロ、配給=にっかつ、監督:藤井克彦、緊縛指導:賀山茂、脚本:佐伯俊道、出演:志麻いづみ 花真衣 水木薫 松井美世子 中原潤)
- 『くノ一忍叫伝 HOTARU』(銀河映像, 2001)(製作:賀山茂、監督・脚本:石川均 、出演:斎藤志乃 かとうあつき 平賀勘一 森保郁夫 山本竜二 やべきょうすけ)
ビデオ
雑誌
- 賀山茂『辻村隆氏との交遊記』復刊奇譚クラブ1982年(昭和57年)3月号
- 賀山茂『縄愛回顧録』別冊S&Mスナイパー1983年(昭和58年)3月号から1984年(昭和59年)1月号
- 賀山茂『縄の魔術師「辻村隆氏」との交遊記 その2 古都より愛をこめて』復刊奇譚クラブ1982年(昭和57年)4月号, p20
- 賀山茂『裸足で歩いたSM道』S&Mスナイパー2005年(平成17年)から
参考資料
注釈
- ↑ 「浅草ロックで楽屋遊びをしていた或る日の或る小屋で「松旭斎天勝」のマジックショウが上演されており、その中のワンシーンで美女ががんじがらめに縛られ・・・私は毎日そのシーンだけを見に行きました。思えばその頃から奇人・変人の道に入ったのでしょう。」とある。ここでの「松旭斎天勝」は年代的に初代(1986-1944)ではない。
- ↑ 賀山は辻村との出会いを、「山花清子の刺青完成会」の場であるとも書いていることがあり、話が合わない。
- ↑ 1964年(昭和39年)12月号のカメラハントに登場
- ↑ 3月創刊。(株)きたん社。港区六本木2-4-5-402。発行人:森田公治、編集:風俗史料保存会(東京都中央区銀座1-22-10ストークビル501)
つながり
団鬼六 辻村隆 吉田稔 長田英吉 明智伝鬼 谷ナオミ 早乙女宏美 武いさを