「SMミラージュ」の版間の差分

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== 発行年・出版社==
== 発行年・出版社==
1983年(昭和58年)2月〜1984年(昭和59年)4月、[[群雄新社]]
1983年(昭和58年)2月〜1984年(昭和59年)4月、[[群雄新社]]、[[ミラージュ社]]


== 発行人・編集人==
== 発行人・編集人==

2011年3月6日 (日) 21:14時点における版

SMミラージュ』(えすえむみらーじゅ)は、SM雑誌である。

概要

発行年・出版社

1983年(昭和58年)2月〜1984年(昭和59年)4月、群雄新社ミラージュ社

発行人・編集人

三輪高志発行。編集が宗礼阿。

主な出来事

1983.2.15 『SMミラージュ』創刊。三輪高志発行。編集が宗礼阿。世田介一六本木薫が中心。表紙は山口椿。

第2号(4.15)には椋陽児の名前が。

3号(6/15)には今井一夫の名が。

4号(8.15)。

5号(9.15)。

6号(12.15)の編集後記で、宗礼阿が「スペシャリーS&Mが復刊されるという噂が飛んでいる。私に言わせればどの面下げて・・・以前の会社でスペシャリーS&Mの11号から24号まで編集に関わっていた。交通事故にあった山谷秋人の穴を埋めるべく24号はほとんど私が独断で・・・29号は売れた。その後内部確執・・・けんか別れでD社を出た」と大共社の社長との確執を吐露。

7号(1984.2.15)

8号(4.15)で休刊。

エピソード

世田介一が関与。

脚注

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