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==代表作== | ==代表作== |
2023年12月11日 (月) 12:19時点における版
もりした たかしげ、1927年(昭和2年)[2]。1953年(昭和28年)頃から奇譚クラブ等に森本愛造他の変名で寄稿。欧米フェティ文化の紹介も熱心で米国ヌートリクス社の代理店も。SMサークル「あけぼの会」主宰。
概要
風俗史研究家。文筆家。
別名
谷貫太、森本愛造、原忠正、森下小太郎(本名)、天泥盛栄、天泥盛英(アメディオ・モディリエール、あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム
「通信や告白文には天泥盛英(アメディオ・モディリエール)を用い、翻訳には森本愛造を用いる」[3]
略歴
1927年(昭和2年)頃[注 1]、印刷会社社長の長男として生まれる[1][4]。
旧制成践高校卒業[1]。
学生時代に知り合う新宿2丁目の赤線のM女性がきっかけでSMを始める[1]。
慶応大学仏文科卒業後、家業の印刷会社を手伝う[1]。
1953年(昭和28年)、奇譚クラブ4月号に森本愛造『乗馬靴と長靴と鞭』p30。6才の時から乗馬の経験があると書いている。
1954年(昭和29年)、奇譚クラブ4月号のグラビアに『鞭打つ女と馬になる男』と題して、BizarreのJohn Willieの作品と思われるイラストと写真が「天泥盛英氏提供」で掲載。同誌のグラビアに『残虐なる女性達』と題してDas Grausame Weib誌、Das Leben誌の挿絵、Vala Moro, Tackの作品を森本愛造の名前で紹介。
1958年(昭和33年)9月、『奇譚クラブ』の同好の士を全国から募集[注 2]。これを機に「あけぼの会」の設立を計画。「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。中条泰太郎、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる[1]。
1959年(昭和34年)4月頃、「あけぼの会」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える[1]。
1959年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」であけぼの会の活動[1]。
1959年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「あけぼの会」主催の撮影会。18名参加。この撮影会に参加した会社員の藤倉が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る[1]。
1959年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は森下高茂、中条泰太郎を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕・送検[1]。
1960年(昭和35年)、別冊風俗奇譚上に「ニュートリクス(ヌートリクス・コーナー」「Nutrix画廊」の記事が頻繁に現れる。
1960年(昭和35年)6月、『風俗奇譚』6月号に谷貫太『マゾヒストの手紙から』が掲載[注 3]。
1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる[5]。
1961年(昭和36年)、日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)設立。
1964年(昭和39年)、あまとりあ社から『ショッキング画集1』を出版。John Willieなどのイラスト集。解説文を濡木痴夢男と共に書いている。
1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)11月号に森下小太郎『三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事』。
1982年(昭和57年)、「諸君」(文藝春秋社)12月号に森下小太郎『倉田卓次判事への公開質問状』。
エピソード
- 作曲家の矢代秋雄と親交。矢代秋雄は麻生保の変名で奇譚クラブにに投稿していた[4]。
- 『奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』などで海外のフェチシズムを紹介。
- 森下からFakir Musafarを通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
- 濡木痴夢男にFakir Musafarを紹介した。
- 1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だとする節を主張。
- 昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた[6]。
- 風俗奇譚1961年頃に広告を出していた『泰西出版資料会社』は森下高茂の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
- 画報風俗奇譚1961年(昭和36年)10月号, p90には「日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)提供」とある。
- 小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた[6]。
- 「沼は森本(森下) の住所を「奇譚クラブ』経由で知り、文通が始まったが、森本は極秘ながら沼の住所が長野県飯田市で、名前が倉田貞二であることだけを知らされた」「その沼=倉田が56年にいきなり森本の自宅を訪ねてきた。それは稀少本だったキントの原書『女天下』第四巻を見るためで、彼はそのドイツ語の原書を一晩で読破した」「森本は天野の「奇譚クラブ」におけるペンネームが黒田史朗であることも知っていた」「(森本は)沼が倉田卓次で、長野地家裁飯田支部判事補、札幌高裁判事、佐賀地家裁所長などを経て、東京高裁判事となっていることを突き止める。」(以上は「諸君!」1982年(昭和57年)『三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書 「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁倉田卓次判事』の要約)に掲載された[4]。
代表作
雑誌
- 森本愛造『乗馬靴と長靴と鞭』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, p30
- 森本愛造『残虐なる女性たち』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号~1958年(昭和33年)年連載。
- 天泥盛栄『或る被虐性愛者の手記より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p138
- 天泥盛栄『或る被虐性愛者の手記より(二)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号p79
- 天泥盛栄『或る被虐性愛者の手記より(三)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)11月号
- 森本愛造訳『残虐なる女性達』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号, http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/099.html p104]
- 原忠正『現代マゾヒズム芸術時評』奇譚クラブ1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。
- 原忠正『現代マゾヒズム芸術時評』奇譚クラブ1954年(昭和29年)7月号, p181
- 天泥盛栄『マゾヒスム断想』奇譚クラブ1956年(昭和31年)7月号, p124
- 『マゾヒズムへの招待』裏窓1960年(昭和35年)連載。
- 原忠正『現代マゾヒズム芸術時評』奇譚クラブ1958年(昭和33年)4月号, p98
- 谷貫太『マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載。
- 原忠正『『あけぼの会事件』について』奇譚クラブ1961年(昭和36年)2月号, p212。
- 谷貫太訳『ヌートリクス・コーナー ウルスラ夫人の女騎手強制調教所』風俗奇譚1961年(昭和36年)5月号、p139
- 谷貫太『ジョン・ウィリー原作ならびに絵 グエンドリンの降伏と冒険』画報風俗奇譚1961年(昭和36年)5月号増刊号(第12集)、p107
- 『マゾヒズム文化時評』裏窓1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
- 谷貫太『続・マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載。
- 谷貫太『わたしの友人たち』風俗奇譚1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載。
- 天泥盛栄『私の告白の断章』奇譚クラブ1964年(昭和39年)2月号p158
- 『もう一つの世界を散歩する』風俗奇譚1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
- 谷貫太『新・マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載。
- 谷貫太『レターM』風俗奇譚1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
- 『フェティシズム』SMキング創刊号(1972)から連載。
- 谷貫太スペシャリーS&M1982年(昭和57年)5月15日、通算23号から同雑誌にいくつか書いている。
書籍
- 藤見郁・T・C・MORISCITA『ショッキング画集1』(久保書店, 1964)(John Willie、Eric Stantonなどを紹介)
- 谷貫太『レターM』(譚奇会, 1972)(発売:三崎書房)