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*1991年(平成3年)2月、『緊縛美囚2(第1巻第6号)』が発行:[[パワー企画出版]]株式会社(新宿区馬場下町61番山口ビル1F、発行:[[スピリッツ映像出版社]]:新宿区早稲田町74番地田久保ビル)から出ている。ビデオのスチルのよう。「黒鬼グループ特撮部」「黒鬼特別資料室」「アダルト21」などが記載。写真は高橋景一。表紙に「[[世田介一]]の緊縛術入門」とあるが、該当記事はなし。「嗜趣愉悦」などが内扉に書いてあり[[世田介一]]が関わっている様子。平成1・2年度分の133冊の写真集の広告が出ている。 | *1991年(平成3年)2月、『緊縛美囚2(第1巻第6号)』が発行:[[パワー企画出版]]株式会社(新宿区馬場下町61番山口ビル1F、発行:[[スピリッツ映像出版社]]:新宿区早稲田町74番地田久保ビル)から出ている。ビデオのスチルのよう。「黒鬼グループ特撮部」「黒鬼特別資料室」「アダルト21」などが記載。写真は高橋景一。表紙に「[[世田介一]]の緊縛術入門」とあるが、該当記事はなし。「嗜趣愉悦」などが内扉に書いてあり[[世田介一]]が関わっている様子。平成1・2年度分の133冊の写真集の広告が出ている。 | ||
*1992年(平成4年)から「企画制作:アブ」「受審・販売:[[ファミーホームソフト]]」で[[黒鬼]] | *1992年(平成4年)から「企画制作:アブ」「受審・販売:[[ファミーホームソフト]]」で[[黒鬼]]調教録回顧録等の多数のビデオを制作。 | ||
*[[ファミーホームソフト]]の作品でしばしば登場する監督、[[日風倹]](けん)は、「[[ファミーホームソフト]]は東京 ・中野に拠点を置くSMビデオメーカー で、監督が経営する同所のSMクラブの調教ドキュメントなどを商品化して発売」<ref>[[藤木TDC]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4864360944/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4864360944 '''アダルトビデオ最尖端~身体と性欲の革命史~''']』([[コアマガジン]], 2011)</ref>から[[本田富朗]]の変名を考えられる。 | |||
===雑誌=== | ===雑誌=== | ||
*[[丸茂ジュン]]『'''女王の時代'''』[[S&Mスナイパー]]1989年1月号。ゲスト:[[本田富朗]]、[[関和子]]。 | *[[丸茂ジュン]]『'''女王の時代'''』[[S&Mスナイパー]]1989年1月号。ゲスト:[[本田富朗]]、[[関和子]]。 |
2020年8月8日 (土) 11:25時点における版
ほんだ とみお、くろおに、1940??年(昭和??年)-1999年(平成11年)8月8月。中野クィーンのオーナー。1990年代にファミーホームソフトから多数のビデオを発表。
概要
緊縛師。仕掛人。Roo夢、中野クィーン、マイウェイ、ファミーホームソフトのオーナーとして1980年代から1990年代の終わりまで活動。
別名
略歴
1940年前後の生まれではないかと思われる。
1971年(昭和46年)頃[注 1]、本田富朗によって新宿にRoo夢がオープン[1]。
1980年(昭和55年)、女王様SMクラブとして本田富朗により設立。関和子が初代女店主[2]。
1980年(昭和55年)頃、本田富朗の中野クィーンオープンに伴いRoo夢の権利を初代クインローズに譲渡。
1980年前半に桜田伝次郎のGSG企画による『SMボンバー』が定期開催されていた大塚の「マイウェイ」のオーナーでもある[3][注 2]。
1980年前後に目黒に日本風俗研究会を設立。会長。
ファミーホームソフトの社長でもあり、黒鬼レーベルビデオを出していた。
1999年(平成11年)8月8月、心筋梗塞で永眠。
エピソード
- 中野クィーンのオーナーで、スタジオを長田英吉、明智伝鬼に貸していた。
- 長田英吉は「昔、オサダ・ゼミの公演の際に陰で滑車のロープをひいてくれたりしてた」「ゼミの会合にも来てくださり、一緒にSMしてた仲。ゼミの会合では会場をお借りしてた。」と述懐している[4]。
- 遅くとも92年頃にはビデオで電マ責めを取り入れている。
代表作
- 1991年(平成3年)2月、『緊縛美囚2(第1巻第6号)』が発行:パワー企画出版株式会社(新宿区馬場下町61番山口ビル1F、発行:スピリッツ映像出版社:新宿区早稲田町74番地田久保ビル)から出ている。ビデオのスチルのよう。「黒鬼グループ特撮部」「黒鬼特別資料室」「アダルト21」などが記載。写真は高橋景一。表紙に「世田介一の緊縛術入門」とあるが、該当記事はなし。「嗜趣愉悦」などが内扉に書いてあり世田介一が関わっている様子。平成1・2年度分の133冊の写真集の広告が出ている。
- 1992年(平成4年)から「企画制作:アブ」「受審・販売:ファミーホームソフト」で黒鬼調教録回顧録等の多数のビデオを制作。
- ファミーホームソフトの作品でしばしば登場する監督、日風倹(けん)は、「ファミーホームソフトは東京 ・中野に拠点を置くSMビデオメーカー で、監督が経営する同所のSMクラブの調教ドキュメントなどを商品化して発売」[5]から本田富朗の変名を考えられる。
雑誌
- 丸茂ジュン『女王の時代』S&Mスナイパー1989年1月号。ゲスト:本田富朗、関和子。
- 『緊縛美囚』発売:パワー企画出版株式会社、発行:スピリッツ映像出版社、1991年(平成3年)2月15日
- レモンノート1997年(平成9年)5月15日増刊『黒鬼調教シリーズ 緊縛奴隷 飼育』(発行人:新井和雄、編集人:高橋健二)
ビデオ
- 「女教師鞭の洗礼」
- 「みかほ「口責め洗礼」編」
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