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2020年8月5日 (水) 11:02時点における版
ほんだ とみお、くろおに、1940??年(昭和??年)-1999年(平成11年)8月8月。1970年代以降、Roo夢、中野クィーン、マイウェイなどの名店をプロデュース。90年代にはマリンブルーやファミーホームソフトを設立。黒鬼軍団の名でSMビデオを多数製作。
概要
緊縛師。仕掛人。Roo夢、中野クィーン、マイウェイ、ファミーホームソフトのオーナーとして1980年代から1990年代の終わりまで活動。
別名
略歴
1940年前後の生まれではないかと思われる。
1971年(昭和46年)頃[注 1]、本田富朗によって新宿にRoo夢がオープン[1]。
1980年(昭和55年)、女王様SMクラブとして中野クィーンが本田富朗により設立。関和子が初代女店主[2]。
1980年(昭和55年)頃、本田富朗の中野クィーンオープンに伴いRoo夢の権利を初代クインローズに譲渡。
1980年前半に桜田伝次郎のGSG企画による『SMボンバー』が定期開催されていた大塚の「マイウェイ」のオーナーでもある[3][注 2]。
1980年前後に目黒に日本風俗研究会を設立。会長。
1990年(平成2年)頃、マリンブルーから日風倹名でSMビデオを製作。
1990年代、ファミーホームソフトを設立。黒鬼レーベルビデオを出していた。
1999年(平成11年)8月8月、心筋梗塞で永眠。
エピソード
- 中野クィーンのオーナーで、スタジオを長田英吉、明智伝鬼に貸していた。
- 長田英吉は「昔、オサダ・ゼミの公演の際に陰で滑車のロープをひいてくれたりしてた」「ゼミの会合にも来てくださり、一緒にSMしてた仲。ゼミの会合では会場をお借りしてた。」と述懐している[4]。
- 遅くとも92年頃にはビデオで電マ責めを取り入れている。
代表作
- 1991年(平成3年)2月、『緊縛美囚2(第1巻第6号)』が発行:パワー企画出版株式会社(新宿区馬場下町61番山口ビル1F、発行:スピリッツ映像出版社:新宿区早稲田町74番地田久保ビル)から出ている。ビデオのスチルのよう。「黒鬼グループ特撮部」「黒鬼特別資料室」「アダルト21」などが記載。写真は高橋景一。表紙に「世田介一の緊縛術入門」とあるが、該当記事はなし。「嗜趣愉悦」などが内扉に書いてあり世田介一が関わっている様子。平成1・2年度分の133冊の写真集の広告が出ている。
- 1992年(平成4年)から「企画制作:アブ」「受審・販売:ファミーホームソフト」で黒鬼調教録回顧録等の多数のビデオを制作。
- ファミーホームソフトの作品でしばしば登場する監督、日風倹(けん)は、「ファミーホームソフトは東京 ・中野に拠点を置くSMビデオメーカー で、監督が経営する同所のSMクラブの調教ドキュメントなどを商品化して発売」[5]から本田富朗の変名を考えられる。
雑誌
- 丸茂ジュン『女王の時代』S&Mスナイパー1989年1月号。ゲスト:本田富朗、関和子。
- 『緊縛美囚』発売:パワー企画出版株式会社、発行:スピリッツ映像出版社、1991年(平成3年)2月15日
- レモンノート1997年(平成9年)5月15日増刊『黒鬼調教シリーズ 緊縛奴隷 飼育』(発行人:新井和雄、編集人:高橋健二)
ビデオ
- 『SM調教 淫化華II』(マリンブルー, 1990.2.21)(監督:日風倹、出演:高木なぎさ)
- 「女教師鞭の洗礼」
- 「みかほ「口責め洗礼」編」
- 「女子大生明美」
- 「のり子とさち子」
- 「インターン由紀」
- 「女子大生歓喜絶叫」
- 「おもちゃ隷女二匹」
- 「セールスレディ恵里」
- 「OL絶叫」
- 「巨乳千鶴の涙感調教」
- 「OL奴隷達夏の夜の狂態」
- 「隷奴2匹悲哀女子校生」