「鶴見橋ミュージック」の版間の差分
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[[画像:tani_tsurumi.jpg|350px|thumbnail|[[鶴見橋ミュージック]]で1979年(昭和54年)3月で興行された『[[谷ナオミ]]引退興行』の[[大阪スポーツ]]の広告。]] | |||
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大阪西成区にあったストリップ劇場。1980年には「'''[[関西ニューアート]]'''」と名前が変わっている。 | 大阪西成区にあったストリップ劇場。1980年には「'''[[関西ニューアート]]'''」と名前が変わっている。 |
2015年10月8日 (木) 18:22時点における版
概要
大阪西成区にあったストリップ劇場。1980年には「関西ニューアート」と名前が変わっている。
別名
所在地
大阪市西成区鶴見橋2-9-1
歴史
1975年(昭和50年)、外人マナ板&マスターベーションショウ[1]
1978年(昭和53年)秋、玉井敬友のSMショー興行[2]。
1979年(昭和54年)3月1-10日、谷ナオミ引退興行。
1979年(昭和54年)9月1-10日、玉井敬友のシアタースキャンダルがSMショー。
1980年(昭和55年)6月11日、「関西ニューアート」と改称[3]
1978年-79頃の興行例
- 「実験 人工授精・舞桜子」(1978.11.1-10)
- 「拷問地獄責 残酷白黒ショー」(1978.11.11-20)
- 「日活現役 東裕里子」「トルコ式まな板実演」(1978.12.1-10)
- 「アリアドーネの会 暗黒舞踏牝火山」(1978.12.31-1979.1.10)
- 「谷ナオミ 引退興行」(1979.3.1-10)
- 「浮世絵残酷舞踏」(1979.3.11-20)