「麻屋霞寿」の版間の差分
(→略歴) |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[画像:Kotobuki.jpg|150px|thumbnail|麻屋 霞寿]] | [[画像:Kotobuki.jpg|150px|thumbnail|麻屋 霞寿]] | ||
'''あさや かすみ ことぶき'''、1972年(昭和47年) | '''あさや かすみ ことぶき'''、1972年(昭和47年)9月23日生 | ||
==概要== | ==概要== | ||
54行目: | 54行目: | ||
大阪日本橋オタロード商店街に移住し活動拠点とする。 | 大阪日本橋オタロード商店街に移住し活動拠点とする。 | ||
2012年(平成24年) | 2012年(平成24年)、「寿亭志保(水原れいこ)」(池袋聖水サロン・シエスタ所属 熟女AV女優)と再婚し、本土興行を再開。 | ||
2013年(平成25年)1月13日、大阪市住之江区の「藝術中心◉カナリヤ条約」での鞦韆舘 presents『幻燈舞台 vol.2』に出演。(出演:[[麻屋霞寿]]&二代目志保、[[藍澤庚丞]]&さき、[[月影蒼狼]]&結夢、遠藤智子&辻泰匡、飯干未奈、栃村結貴子) | 2013年(平成25年)1月13日、大阪市住之江区の「藝術中心◉カナリヤ条約」での鞦韆舘 presents『幻燈舞台 vol.2』に出演。(出演:[[麻屋霞寿]]&二代目志保、[[藍澤庚丞]]&さき、[[月影蒼狼]]&結夢、遠藤智子&辻泰匡、飯干未奈、栃村結貴子) |
2015年4月13日 (月) 22:08時点における版
あさや かすみ ことぶき、1972年(昭和47年)9月23日生
概要
緊縛師[注 1]。調教師。文筆家。写真家。
別名
Kotobuki Asaya Kasumi、麻屋寿、ロープ沖縄 、Pn全裸の妖精
略歴
1972年(昭和47年)、静岡県三島に生まれる[1]。
1975年(昭和50年)頃、物心ついたころから女王様や江戸補縄術に興味をもつ[注 2]。
1985年(昭和60年)、同人誌への執筆活動をはじめる[注 3]。
1991年(平成3年)、この頃から「Pn全裸の妖精」を名のり、各種雑誌に調教写真、小説を投稿[注 4]。
1991年(平成3年)、鉄道・軌道業(系列の航空・船舶事業を含む)に就職。副業としてピンサロのアルバイト[注 5]。
1993年(平成5年)、三島市にてSM倶楽部「全裸の妖精」を創業[1]。
1993年(平成5年)、吐夢書房のSM雑誌[注 6]に寄稿。
1997年(平成9年)、ショーアップ大宮劇場・船橋若松劇場・鶴見新世界劇場へ長田英吉と早乙女宏美のショーを「おっかけ」[1]。
2000年(平成12年)、鉄道・軌道業会社を辞し、有限会社を創業しソープ[注 7]、ラブホテルの経営などを始める[注 8]。
2000年(平成12年)、この頃から「麻屋寿」を名のり、風俗新聞[注 9]、メルマガジン[注 10]などに執筆。
2001年(平成13年)、伊豆地域での事業を全譲渡し、沖縄に移住しSMソープ[注 11]を、デリバリーSMを創業。
2003年(平成15年)、SMラジオ番組開始[注 12]。
2004年(平成16年)、那覇「熱血社交場」にてSMショーデビュー。ショーアップ大宮劇場SM大会『ザ・SMスペシャル』出演[注 13]。
2004年(平成16年)、緊縛美研究会入会[注 14]。「麻屋霞寿」と改名。この頃からプロ化を自覚する[注 15]。
2005年(平成17年)、SM白黒ストリッパーとして各地を巡業[注 16]。
2007年(平成19年)、大阪堂山MIX-ROOM大黒堂ミロの主宰により香里園駅近傍の旧家にてトークライブを興行(2008年も)[1]。
2009年(平成21年)、福井市で彫師「極楽点」とコラボ興行[1]。
2010年(平成22年)、米国ボストンにてブルースギタリスト「DAVD RALSTON」のCDアルバムジャケット写真の緊縛を担当、
以降、氏のジャパンツアーにフロントアクトとして参戦。
米国陸軍トリイステーション野外特設ステージで公演
沖縄テレビ(oTv)開局50周年記念番組「あなたが見たい思い出の名場面」で
ランキング4位に出演番組「沖縄ooバラエティ」が視聴者リクエストにより選ばれる。
2011年(平成23年)、「霞紫苑」と9年、「螢(kei)」と3年のペア解消し
首都圏において歌舞伎町アフロディーテの「水月美羽」と組む。
「はるかぜすず」とロリィタ着エロシリーズを刊行
大阪日本橋オタロード商店街に移住し活動拠点とする。
2012年(平成24年)、「寿亭志保(水原れいこ)」(池袋聖水サロン・シエスタ所属 熟女AV女優)と再婚し、本土興行を再開。
2013年(平成25年)1月13日、大阪市住之江区の「藝術中心◉カナリヤ条約」での鞦韆舘 presents『幻燈舞台 vol.2』に出演。(出演:麻屋霞寿&二代目志保、藍澤庚丞&さき、月影蒼狼&結夢、遠藤智子&辻泰匡、飯干未奈、栃村結貴子)
2013年(平成25年)12月7日、藝術中心◉カナリヤ条約にて「幻燈舞台 2013」(出演:MANA、遠藤智子&くぽりん&やっちゃん、女瞳鎖、藍澤庚丞&琉咲弥、麻屋霞寿
2014年(平成26年)映画『ITECHO 凍蝶圖鑑』(監督:田中幸夫 プロデュース:大黒堂ミロ)に出演。東京・名古屋上映のキャッチコピー「きっと会ってなかったら私しんでたわ」が採用される。
エピソード
- 2005年(平成17年)、船橋若松劇場SM大会にて、主催者の早乙女宏美から長田英吉の遺品である『4連式桜の木製滑車』を譲渡される。この経緯は、S&Mスナイパー2005年8月号の早乙女宏美『物神たちの囁き「マゾヒストの小道具箱」』に紹介されている[1]。
- 濡木痴夢男『緊縛★命あるかぎり』の「縄を解かれて泣く女」に出てくる祝ちどりの夫は麻屋霞寿本人である[1]。
- 緊美研ビデオO-161緊縛之神髄1「濡木が震えた被虐美の女」において濡木痴夢男との会話が多く収録されている[1]。
- 有末剛 卯月妙子と 沢田穣治を2度コラボさせ、東京縛音舞(東京緊縛オーケストラ)のきっかけをつくる[1]。
- 日本最後の子連れ巡業白黒ストリッパーとして『別冊GON』2005年(平成17年)9月号(ミリオン出版)に紹介[1]。
- 川本耕次のブルースセッション定期ライブのラジオ番組サウンドエンジニアとして働いたことがある[1]。
- 米兵相手のショーが多く、2003年以来、米軍の陸・海・空・海兵隊の憲兵による検閲を受ける[1])。
代表作
DVD
- 『お尻倶楽部DVD2』(三和出版, 2004)
- 『戦え!マゾヒスト戦士ケン』(絶頂, 監督:青山夏樹, 2004)
- 『緊縛之真髄3:吊りは地獄か極楽か・女体三半規管責め』(緊美研, 監督:濡木痴夢男, 2005)
- 『変態夫婦』(マーベルプロ, 監督:望月羅美, 2006)
- 『実録・THE変態3』(パラダイスTV, 2006)
- 『乱鬼龍6』(いたち屋ドラゴンイメージ, 監督:風見蘭喜, 2007)
写真作品
- 『ニャン2マニアライブ7, 9』(コアマガジン)
- 『ニャン2マニアックスゴールド1-4』(コアマガジン)
- 『秘性1号』(三和出版)など
雑誌
- ここに主な掲載雑誌。
参考資料
注釈
- ↑ 本人は緊美研会員のため緊縛師ではないと自称(私信 to Ykotake)
- ↑ タイムボカンシリーズ(マージョ・ドロンジョ…)や水戸黄門・大岡越前・銭形平次・大江戸捜査網の影響(私信 to Ykotake)。
- ↑ 「やおい(ボーイズラブ)」が最初。女性家庭教師が、やおい同人誌愛好家で話が弾み授業中に自身のM性を暴露。初体験時より彼女の求めるままS性を引き出され、以降SMパートナーとして高校卒業時まで「Mに育てられるS」としての関係がつづく(私信 to Ykotake)。
- ↑ 主な投稿先雑誌名をここにまとめてある。
- ↑ 在籍嬢の勤務外収入や、採用できない容姿の女性へ「軽いバイト」として露出・調教写真の撮影をおこない投稿(私信 to Ykotake)。
- ↑ 「華麗奴」「ORG」「オルガナイザー」「SPIRAL」「TOO NEGATIVE」「SPECULUM」など。小林(紅)小太郎編集長の指示によってボカシが極端に薄くされた。警視庁目白署がトーハン、日販を内偵すると塚本会長が自首し廃刊(私信 to Ykotake)。
- ↑ 伊豆長岡温泉のソープランド「湯女・麗嬢」を継承。ソープのコースにSMプレイを設定した業界先駆者となる(私信 to Ykotake)。
- ↑ 沼津インター付近のSMルーム付きラブホテル「マジック」。また、高級ラブホテル「ラグナリゾートホテル」をプロデュース(私信 to Ykotake)。
- ↑ 「月刊MANZOKU横浜」創刊に従事、内外タイムス(夕刊紙)東京MANZOKUニュース(新聞)のSMコーナーを担当。
- ↑ 「メルモ」において「M女リコの調教日記」を配信。
- ↑ 「ニュー那覇」、「ゆめ・キャロット」
- ↑ 日本で唯一(2010現在)琉球放送iラジオ「愛と性の番組 いとあやし」(2004年終了) 、 FMたまん「サディステックマスター ギリギリナイト」(~現在) (私信 to Ykotake)
- ↑ 赤色の麻縄(当時珍しい)と滑車、HIP-HOPを使ったショーを川上譲治が注目(私信 to Ykotake)。
- ↑ ショーアップ大宮劇場で同じ香盤だった早乙女宏美と親交を深めたのがきっかけ (私信 to Ykotake)。
- ↑ 緊縛美研究会の濡木痴夢男に「同好のマニア」と言われたり、 コアマガジン、ニャンニャン倶楽部総編集長の夏岡彰より「プロになっちゃたねぇ」と言われ、三和出版の松本裕専務取締役編集局長と親しくなる(私信 to Ykotake)。
- ↑ 早乙女宏美の推薦によって名古屋鶴舞劇場に出演したのがきっかけ(私信 to Ykotake)。