「秋田昌美」の版間の差分
提供:SMpedia
(→略歴) |
(→略歴) |
||
15行目: | 15行目: | ||
1983年(昭和58年)、文筆家としても活動開始。雑誌「CLASH」への執筆が最初<ref name="Trevor">[[Trevor Brown]]による1992年の[http://web.archive.org/web/19970625171403/http://www.tb-art.com/tb-art/html/archive/merzbow_interview.htm インタビュー]より。</ref>。 | 1983年(昭和58年)、文筆家としても活動開始。雑誌「CLASH」への執筆が最初<ref name="Trevor">[[Trevor Brown]]による1992年の[http://web.archive.org/web/19970625171403/http://www.tb-art.com/tb-art/html/archive/merzbow_interview.htm インタビュー]より。</ref>。 | ||
1989年(平成元年)頃、[[秋田昌美]]が『[[切腹]]』文化の取材で[[濡木痴夢男]]と初めて会い意気投合。[[ | 1989年(平成元年)頃、[[秋田昌美]]が『[[切腹]]』文化の取材で[[濡木痴夢男]]と初めて会い意気投合。[[春原悠理]]らも知り[[緊美研]]に出入りするようになり[[緊美研]]の切腹ビデオの制作に参加する<ref name="Trevor"></ref>。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== |
2014年7月13日 (日) 17:09時点における版
あきた まさみ、1956年12月19日-
概要
風俗史研究家。音楽家。
別名
略歴
1956年(昭和31年)12月19日、東京生まれ
1970年代、玉川大学文学部芸術学科卒業。
1979年(昭和54年)、Merzbow(メルツバウ)として音楽活動(ノイズミュージック)。
1983年(昭和58年)、文筆家としても活動開始。雑誌「CLASH」への執筆が最初[1]。
1989年(平成元年)頃、秋田昌美が『切腹』文化の取材で濡木痴夢男と初めて会い意気投合。春原悠理らも知り緊美研に出入りするようになり緊美研の切腹ビデオの制作に参加する[1]。
エピソード
代表作
書籍
- 秋田昌美『倒錯のアナグラム―周縁的ポルノグラフィーの劇場』(青弓社, 1988/11)
- 秋田昌美 『異形のマニエリスム―「邪」の民俗』(青弓社, 1989/06)
- 秋田昌美『フェティッシュ・ファッション―変貌するエロスと快楽身体』(青弓社, 1990/06)
- 秋田昌美『セックス・シンボルの誕生』(青弓社, 1991/11)
- 秋田昌美『ノイズ・ウォー―ノイズ・ミュージックとその展開』(青弓社, 1992/12)
- 秋田昌美『快楽身体の未来形―TERMINAL BODY PLAY』(青弓社, 1993/06)
- 秋田昌美『ボディ・エキゾチカ』 (水声社, 1993/08)
- 秋田昌美『スカム・カルチャー』(水声社, 1994/08)
- 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』(青弓社, 1994)
- 秋田昌美『裸体の帝国』 (水声社, 1995/06)
- 秋田昌美・濡木痴夢男・不二秋夫『日本緊縛写真史 1』 (自由国民社, 1996)
- 秋田昌美『アナル・バロック』(青弓社, 1997/04)
- 秋田昌美 『ヴィンテージ・エロチカ』(青弓社, 1998/02)
- 秋田昌美 『女陰考―性学古典より』 (桜桃書房, 1999/10)
- 秋田昌美 『ストレンジ・ヌード・カルト―不思議の裸体天国』(水声社, 1999/11)
- 秋田昌美 『ラブ・ポジション』(桜桃書房, 2000/11)
- 秋田昌美 『わたしの菜食生活』(太田出版, 2005/12)
CD
- Merzbow『緊縛の為の音楽(MUSIC FOR BONDAGE PERFORMANCE)』(EXTREME, 1991)
エピソード
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 Trevor Brownによる1992年のインタビューより。