「SMコレクター」の版間の差分
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1972年(昭和47年)10月-1985年(昭和60年)5月号 [[サン出版]] | 1972年(昭和47年)10月-1985年(昭和60年)5月号 [[サン出版]] | ||
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*1980年(昭和55年)[[SMコレクター]]7月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』 | *1980年(昭和55年)[[SMコレクター]]7月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』 | ||
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*[[須磨利之]]が病気で倒れるまでは、[[吉田潤]]、[[花沢正治]]がカメラマン、[[須磨利之]]が緊縛師で写真撮影をおこなていた<ref name="memo">[[濡木痴夢男仕事メモ]]</ref>。 | *[[須磨利之]]が病気で倒れるまでは、[[吉田潤]]、[[花沢正治]]がカメラマン、[[須磨利之]]が緊縛師で写真撮影をおこなていた<ref name="memo">[[濡木痴夢男仕事メモ]]</ref>。 | ||
*「[[東京三世社]]の[[濡木痴夢男]]」「[[サン出版]]の[[美濃村晃]]」と棲み分けがあったが、[[美濃村晃]]が病気で倒れたため[[サン出版]]は[[豊幹一郎]]で[[濡木痴夢男]]を売り出す。 | *「[[東京三世社]]の[[濡木痴夢男]]」「[[サン出版]]の[[美濃村晃]]」と棲み分けがあったが、[[美濃村晃]]が病気で倒れたため[[サン出版]]は[[豊幹一郎]]で[[濡木痴夢男]]を売り出す。 | ||
*[[沖渉二]]、[[椋陽児]]、[[春川ナミオ]]、[[秋吉巒]]、[[明石三平]]、[[前田寿安]]、[[小妻容子]]、[[富士利美]]、[[白石伯山]] | |||
== 引用文献== | == 引用文献== | ||
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2012年3月23日 (金) 07:37時点における版
えすえこれくたー
概要
東京三世社でSMセレクトを創刊した宮坂信が独立してサン出版を設立し出版したSM雑誌。須磨利之も宮坂信と共に東京三世社からサン出版へと主な発表場所を変える。
発行年・出版社
1972年(昭和47年)10月-1985年(昭和60年)5月号 サン出版
発行人・編集人
増刊号
- 1980年(昭和55年)SMコレクター7月号増刊として『SMフォト全集』
- 1981年(昭和56年))SMコレクター1月号増刊として『SMフォト全集』
- 1981年(昭和56年))SMコレクター6月号増刊として『SMフォト全集』
- 1981年(昭和56年))SMコレクター12月号増刊として『SMフォト全集』
- 1982年(昭和57年))SMコレクター3月号増刊として『SMフォト全集』
- 1982年(昭和57年))SMコレクター7月号増刊として『SMフォト全集』
- 1982年(昭和57年))SMコレクター12月号増刊として『SMフォト全集』
- 1983年(昭和58年))SMコレクター4月号増刊として『SMフォト全集』
- 1983年(昭和58年))SMコレクター9月号増刊として『SMフォト全集』
- 1983年(昭和58年))SMコレクター12月号増刊として『SMフォト夢幻館』
- 1984年(昭和59年))SMコレクター3月号増刊として『SMフォト夢幻館』
- 1985年(昭和60年))SMコレクター3月号増刊として『SMフォト夢幻館』
エピソード
- 須磨利之が病気で倒れるまでは、吉田潤、花沢正治がカメラマン、須磨利之が緊縛師で写真撮影をおこなていた[1]。
- 「東京三世社の濡木痴夢男」「サン出版の美濃村晃」と棲み分けがあったが、美濃村晃が病気で倒れたためサン出版は豊幹一郎で濡木痴夢男を売り出す。
- 沖渉二、椋陽児、春川ナミオ、秋吉巒、明石三平、前田寿安、小妻容子、富士利美、白石伯山