「赤坂ブルーシャトウ」の版間の差分

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==エピソード==
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*麻布十番時代はブルーシャトーと奴隷契約書が一緒だった。


== 引用文献==
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2011年7月26日 (火) 12:49時点における版

概要

1980年(昭和55年)、葵マリにより設立。社長は、葵マリの夫である酒井氏。1987年(昭和62年)11月までの7年間存続していた模様。

別名

所在地

最初は赤坂のマンションの2階。その後麻布十番のマンションに移った模様。

歴史

1980年(昭和55年)、葵マリにより赤坂ブルーシャトーが設立[1][注 1]

1980年(昭和55年)10月、後の松川ナミが入店。源氏名はエミ[1][注 2]

1981年(昭和56年)1月8日、赤坂ブルーシャトーの定例ショーに長田英吉を招聘。司会は田辺一鶴、モデルはエミ[1][注 3]

1983年(昭和58年)9月、葵マリがABSプロモーション設立[1]

1983年(昭和58年)12月1日、SMビデオの販売開始[1]

1985年(昭和60年)、『ザ・折檻2』『ザ・折檻3』に赤坂ブルーシャトーの女王様、熱砂、西白蘭、春川かおりが出演。

1987年(昭和62年)11月、赤坂ブルーシャトー閉店。

エピソード

  • 麻布十番時代はブルーシャトーと奴隷契約書が一緒だった。

引用文献

注釈

  1. 毎月第一、第三金曜日と、第二、第四木曜日の19:00-21:00にショー付きパーティー。
  2. ナンバーワンだったが、いつの間にか銀座や吉祥寺のSMクラブに出演。1981年の始めにぐる赤坂ブルーシャトーはやめる。
  3. 2月5日の節分ショーでも長田英吉が出演。

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