「玉井敬友」の版間の差分
(→略歴) |
(→略歴) |
||
35行目: | 35行目: | ||
1978年(昭和53年)4月、自由劇場にて実験劇『'''奇伝・伊藤晴雨'''』 | 1978年(昭和53年)4月、自由劇場にて実験劇『'''奇伝・伊藤晴雨'''』 | ||
1978年(昭和53年) | 1978年(昭和53年)4月、自由劇場にてシアタースキャンダル東京進出2周年記念講演『'''ザ・スキャンダル・エロチカー玉井敬友の世界'''』<ref group="注">作・演出:[[玉井敬友]]、照明:リュミエール兄弟社、音効:後藤治、舞台監督:今井英臣事務所</ref> | ||
1978年(昭和53年)11月、横浜にあったストリップ劇場「[[春風座]]」でシアタースキャンダルのSMショウ。 | 1978年(昭和53年)11月、横浜にあったストリップ劇場「[[春風座]]」でシアタースキャンダルのSMショウ。 |
2011年3月12日 (土) 01:18時点における版
たまい けいゆう、1944年(昭和19年)3月1日-
活動内容
劇作家、演出家、俳優。緊縛師。
別名
略歴
1944年(昭和19年)、尼崎市に生まれる。
1966年(昭和41年)、立命館大学文学部史学科卒業後、高校教師、生命保険のセールスマン、レストランポーイ、ディスコマネージヤー、ショーの構成屋、ルポライター等を経験。
1972年(昭和47年)2月、劇団スキャンダルを旗揚げ。
1973年(昭和48年)4月、大阪でシアター喫茶「スキャンダル」オ一プン。
1975年(昭和50年)8月、舞踏『曼陀羅』
1976年(昭和51年)春、六本木に劇団「シアタースキャンダル」設立[注 1]。長田英吉のオサダ・ゼミナールをここで定期的に開催。
1976年(昭和51年)7月、青山VAN99ホールで「ヒトラーからこまわり君まで」を上演[注 2][注 3]。
1976年(昭和51年)9月、実験劇『背徳の縄』
1977年(昭和52年)3月、SMシリーズ実験劇『孫呉虐殺ー或る女ゲリラの死』
1977年(昭和52年)6月、『日本ストリップ変遷史』
1977年(昭和52年)8月、『SM大祭典“姦”』
1977年(昭和52年)11月、SMシリーズ実験劇『美少女破壊工房』
1978年(昭和53年)4月、自由劇場にて実験劇『奇伝・伊藤晴雨』
1978年(昭和53年)4月、自由劇場にてシアタースキャンダル東京進出2周年記念講演『ザ・スキャンダル・エロチカー玉井敬友の世界』[注 4]
1978年(昭和53年)11月、横浜にあったストリップ劇場「春風座」でシアタースキャンダルのSMショウ。
1979年(昭和54年)、「お七狂乱」で高杉かほりがデビュー。
1981年(昭和56年)、自由劇場にて、『少女・阿部定』。出演:高杉かほり、玉井敬友、武田千明
1985年(昭和60年)、シアタースキャンダル『乱雪無惨』。出演:伊藤清美。
1997年(平成9年)、『玉井敬友SM特別公演』浅草ロック座ススキノ マドンナ。
1998年(平成10年)8月、新宿TSミュージックで『玉井敬友ショー』。出演:紅ユキ。
1998年(平成10年)、『奇伝・伊藤晴雨』の再演。下北沢「劇」小劇場。
1999年(平成11年)、『少女・阿部定』の再演。下北沢「劇」小劇場。玉井敬友事務所。出演:前川麻子。
2003年(平成15年)、大阪で「猪名川寄席」を定期開催。
2006年(平成18年)、東園田町2丁目北地区まちづくり協議会設立。
2007年(平成19年)、玉井敬友事務所・古澤侑峯事務所主催『心中天網島』、尼崎ピッコロシアター大ホール。
2009年(平成21年)、『脱線』、尼崎ピッコロシアター大ホール。
2010年(平成22年)、『創作舞踊劇「心中天の網島」』、尼崎ピッコロシアター大ホール。
エピソード
- 名和徹が初期マネージャーをやっていた[1]。
- 百花繚乱、金城エイコ、高杉かほり(都立高校生からSM女優に転身)、小川美那子、岩瀬ヒロコ、森島朋美などの女優陣。
- 六本木の自動車工場の2階の玉井敬友の事務所で長田英吉が会員の集まりを開いた後、玉井氏もSMの会合を持つようになる。ここで桜田伝次郎は始めて玉井敬友と出会う。
代表作
- 『ヒツトラーからこまわり君まで』
- 『奇伝・伊藤晴雨』
- 「実験劇 密戯」
- 「背徳の縄」
- 「美少女破壊工房」
- 「スキャンダルエロティカ」(2009)
- 『創作舞踊劇「心中天の網島」』(2010)
映画
ビデオ
- 『少女阿部定』(みみずくビデオパック(日本ビデオ映像株式会社) )高杉かほり、玉井敬友、金城栄子、梅谷友枝、鈴木桂介