「SMミラージュ」の版間の差分
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2011年3月6日 (日) 21:41時点における版
『SMミラージュ』(えすえむみらーじゅ)は、SM雑誌である。
概要
発行年・出版社
1983年(昭和58年)2月〜1984年(昭和59年)4月、群雄新社、ミラージュ社
発行人・編集人
主な出来事
1983.2.15 『SMミラージュ』創刊。三輪高志発行。編集が宗礼阿。世田介一、六本木薫が中心。表紙は山口椿。
第2号(4.15)には椋陽児の名前が。
3号(6/15)には今井一夫の名が。
4号(8.15)。
5号(9.15)。
6号(12.15)の編集後記で、宗礼阿が「スペシャリーS&Mが復刊されるという噂が飛んでいる。私に言わせればどの面下げて・・・以前の会社でスペシャリーS&Mの11号から24号まで編集に関わっていた。交通事故にあった山谷秋人の穴を埋めるべく24号はほとんど私が独断で・・・29号は売れた。その後内部確執・・・けんか別れでD社を出た」と大共社の社長との確執を吐露。
7号(1984.2.15)
8号(4.15)で休刊。
増刊号
1984年(昭和59年)1月、増刊第2号「燃焼のリベラルゾーン」。企画・編集:世田介一、発行者:三輪高志、発行所:ミラージュ社
エピソード
世田介一が関与。