「枷井克哉」の版間の差分
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2009年12月2日 (水) 08:57時点における版
かしい かつや (生年不明)
活動内容
写真家。文筆家。
別名
Katsuya Kashii、浅野美樹[note 1]。
略歴
1976年(昭和51年) 秋、濡木痴夢男と知り合う[note 2][1]。
緊美研の古い会員。
エピソード
- 蜂胴マニアで、また肋骨が浮き出るほど痩せた女性が好み。肋骨美、骨体美を主軸とした被虐美の中に『惨』を感じ、それが常に『美』と重なる[1]。
- 戦後、赤線が廃止された頃、吉原、浅草六区にヌードスタジオが乱立した。枷井はこのようなスタジオの通い、写真を撮っていた。ただし、通常この手のヌードスタジオでは簡単には写真は撮らせてくれない。やがてこの種のヌードスタジオはソープやピンク・キャバレーの出現です衰退[1]。
- ロック座、カジノ座、セントラル、美人座、百万弗劇場などのヌード小屋に通い詰め隠し撮りをしていた。後には許可を得て撮影。銀座のヌード劇場に比べて照明が暗いのが好みに合っていた。ヌード劇場でおこなわれるSMショーは芝居がかっているということで興味を持たなかった[1]。
- 月明かりのような最小限の照明を重視。アンダー過ぎて印刷が難しかった。[1]。
- 永井荷風を崇敬[1]。
代表作
- 浅野美樹『美虐の葬送曲』SMセレクト1979年(昭和54年)年5月号
- 枷井克哉『被虐美を追い求めて』 小説SMセレクト1980年(昭和55年)年4月号
- 浅野美樹『蜂の胴惨歌』 小説SMセレクト1980年(昭和55年)年10月号
- 枷井克哉『肋骨美に魅せられて』 小説SMセレクト1981年(昭和56年)年4月号
- 枷井克哉『月明女人虐譜』 SMセレクト1981年(昭和56年)年6月号