「枷井克哉」の版間の差分
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* | *蜂胴マニアで、また肋骨が浮き出るほど痩せた女性が好み。肋骨美、骨体美を主軸とした被虐美の中に『惨』を感じ、それが常に『美』と重なる。<ref name="写真史">『日本緊縛写真史 1』 (秋田昌美、濡木痴夢男、不二秋夫。1996, 自由国民社)。</ref> | ||
*戦後、赤線が廃止された頃、吉原、浅草六区にヌードスタジオが乱立した。枷井はこのようなスタジオの通い、写真を撮っていた。ただし、通常この手のヌードスタジオでは簡単には写真は撮らせてくれない。やがてこの種のヌードスタジオはソープやピンク・キャバレーの出現です衰退。 | |||
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2009年12月2日 (水) 08:39時点における版
かしい かつや (生年不明)
活動内容
写真家。文筆家。
別名
Katsuya Kashii、浅野美樹[note 1]。
略歴
緊美研の古い会員。
エピソード
- 蜂胴マニアで、また肋骨が浮き出るほど痩せた女性が好み。肋骨美、骨体美を主軸とした被虐美の中に『惨』を感じ、それが常に『美』と重なる。[1]
- 戦後、赤線が廃止された頃、吉原、浅草六区にヌードスタジオが乱立した。枷井はこのようなスタジオの通い、写真を撮っていた。ただし、通常この手のヌードスタジオでは簡単には写真は撮らせてくれない。やがてこの種のヌードスタジオはソープやピンク・キャバレーの出現です衰退。
代表作
- 浅野美樹『美虐の葬送曲』SMセレクト1979年(昭和54年)年5月号
- 浅野美樹『蜂の胴惨歌』 小説SMセレクト1980年(昭和55年)年10月号
- 枷井克哉『肋骨美に魅せられて』 小説SMセレクト1981年(昭和56年)年4月号
脚注
- ↑ 『日本緊縛写真史 1』 (秋田昌美、濡木痴夢男、不二秋夫。1996, 自由国民社)。