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2015年12月2日 (水) 12:14時点における最新版
しらびょうし、しらびょうし時代。1955年(昭和30年)から1960年(昭和35年)までの白黒表紙時代を意味する奇譚クラブマニアの専門用語。当局の弾圧が厳しい時代に相当。天星社時代。
概要
1955年(昭和30年)10月号から1960年(昭和35年)5月号までの表紙が白黒印刷であった約5年間を意味する奇譚クラブマニアの間の専門用語。奇譚クラブ1955年(昭和30年)5月号が摘発され、6月号〜9月号が休刊した後から始まり、当局の目を意識した目立たない表紙となっており、グラビア写真も大幅に減っている。出版元が曙書房から天星社に変わった時期に一致し、天星社時代の前半に相当する。白表紙時代最初の表紙は濡木痴夢男の提供によるもので、口絵の写真、本文の多くも濡木痴夢男の手による[1]。当時の状況は「エロ法規制の歴史」を参照。
歴史
1954年(昭和29年)、風俗草紙2月号が摘発。奇譚クラブ3月号が摘発[注 1]。風俗草紙4月号、奇譚クラブ4月号が摘発。6月号〜9月号、12月号〜1955年3月号が休刊。
1955年(昭和30年)3月25日、奇譚クラブ4月号が押収。容疑箇所は伊藤晴雨の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」[2]。
1955年(昭和30年)4月28日、『四・二八いっせいとり締まり』で特価雑誌37種を摘発、35カ所を捜索して39人を検挙、26,664部を押収[3]。
1955年(昭和30年)10月、奇譚クラブは『白表紙時代』に入る。1960年(昭和35年)まで。
1956年(昭和31年)7月、高橋鐵の『生心リポート』猥褻裁判が始まる[注 2]。
エピソード
- 天星社時代は、さらに1967年(昭和42年)まで続く。
関連作品
引用文献
注釈
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つながり
- 奇譚クラブ
- カストリ雑誌時代の奇譚クラブ
- 奇譚クラブの別冊・増刊号
- その後の奇譚クラブ
- 美しき縛しめ
- 奇譚クラブの分譲写真
- KK通信
- 奇譚クラブのモデル達
- 奇譚クラブの読者座談会
- 非小説『性液』
- SMカメラ・ハント
- 鬼六談義
- 白表紙
吉田稔、須磨利之、辻村隆、塚本鉄三、杉原虹児、伊藤晴雨、濡木痴夢男、中康弘通、沼正三、森下高茂、団鬼六、山岸康二、千草忠夫、芳野眉美、朝野祐、 喜多玲子、滝麗子、都築峰子、北原純子、畔亭数久、南村俊平、南川和子、小妻容子、四馬孝、春川ナミオ、室井亜砂二、 切腹、 灸、 女斗美、 ネクタール、 乗馬、 ラバー・ゴム、 スパンキング、 ソドミア、 鼻責め、 猿轡、 蜂胴、 浣腸、 六尺、 脚、 磔、 ゼンタイ ミイラ縛り