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[[画像:HiishiToshio2.jpg|250px|thumbnail|「百人ヌード撮影会」。[[SMキング]]1973年(昭和48年)4月号より。]] | |||
'''『[[火石プロ]]』(ひいしぷろ)'''は初期ピンク映画に女優を送り込んでいた[[火石利男]]による芸能プロダクション。[[愛染恭子]]、[[火鳥こずえ]]、[[辰巳典子]]などが所属していた。 | |||
==概要== | ==概要== | ||
初期ピンク映画への女優供給源。'''[[火石利男]]'''が作る。1957年(昭和32年)ぐらいから芸能界に入り、1959年(昭和34年)頃に[[火石プロ]]を名乗る。東高円寺駅近くに事務所があったようだ<ref name="kubo">[http://ameblo.jp/kubo-shinji/archive1-201004.html 久保新二オフィシャルブログ「アデユ~」]</ref>。「ピンク女優130人前後、男優30人ほどを擁する日本一のポルノ専科プロ」と紹介されている<ref name="playboy">『ポルノ専科 可愛いコちゃん30人体当り面接調査』プレイボーイ 1971年(昭和46年)12月7日号, p20-p26.</ref>。[[北美マヤ]]などは[[SMセレクト]]のモデルにも出演している。 | 初期ピンク映画への女優供給源。'''[[火石利男]]'''が作る。1957年(昭和32年)ぐらいから芸能界に入り、1959年(昭和34年)頃に[[火石プロ]]を名乗る。東高円寺駅近くに事務所があったようだ<ref name="kubo">[http://ameblo.jp/kubo-shinji/archive1-201004.html 久保新二オフィシャルブログ「アデユ~」]</ref>。「ピンク女優130人前後、男優30人ほどを擁する日本一のポルノ専科プロ」と紹介されている<ref name="playboy">『ポルノ専科 可愛いコちゃん30人体当り面接調査』プレイボーイ 1971年(昭和46年)12月7日号, p20-p26.</ref>。[[北美マヤ]]などは[[SMセレクト]]のモデルにも出演している。 | ||
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1959年(昭和34年)頃、[[火石プロ]]を名乗る。 | 1959年(昭和34年)頃、[[火石プロ]]を名乗る。 | ||
1966年(昭和41年)4月、『'''[[実話と秘録]] 4月増刊号'''』([[明文社]])で[[火鳥こずえ]]のグラビア特集。「[[火石プロ]]所属」と紹介されている。 | |||
1968年(昭和43年)、ピンク俳優の権利を守る「独立映画俳優協会」の理事長に就任。発足会の様子は[[団鬼六]]の『[[鬼六談義]] 狐の話』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)5月号で紹介されている。 | 1968年(昭和43年)、ピンク俳優の権利を守る「独立映画俳優協会」の理事長に就任。発足会の様子は[[団鬼六]]の『[[鬼六談義]] 狐の話』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)5月号で紹介されている。 | ||
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1971年(昭和46年)、「時間ですよ」シリーズの女湯場面に女優供給<ref name="net">ネット情報</ref>。 | 1971年(昭和46年)、「時間ですよ」シリーズの女湯場面に女優供給<ref name="net">ネット情報</ref>。 | ||
1972年(昭和47年) | 1972年(昭和47年)2月12日、未成年者を就労させた疑いで火石プロの社長(42)を検挙<ref name="net2">[http://kangaeru.s59.xrea.com/47.htm#1972.2.12 昭和47年(1972)の少年犯罪]</ref>。 | ||
1972年(昭和47年)9月、「五十人ヌード撮影会」。入場料2万円<ref>[[CINEMA SPOT]]1973年(昭和48年)3月号 </ref>。 | |||
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1973年(昭和48年)、東映映画『セックスドキュメント エロスの女王』(監督:[[中島貞夫]]、音楽:荒木一郎、出演:[[火石プロ|火石利男]]、[[ローズ秋山]]夫妻、稲倉清純)で火石利男の率いる火石プロが紹介されている。 | 1973年(昭和48年)、東映映画『セックスドキュメント エロスの女王』(監督:[[中島貞夫]]、音楽:荒木一郎、出演:[[火石プロ|火石利男]]、[[ローズ秋山]]夫妻、稲倉清純)で火石利男の率いる火石プロが紹介されている。 |
2021年5月21日 (金) 13:28時点における最新版
『火石プロ』(ひいしぷろ)は初期ピンク映画に女優を送り込んでいた火石利男による芸能プロダクション。愛染恭子、火鳥こずえ、辰巳典子などが所属していた。
概要
初期ピンク映画への女優供給源。火石利男が作る。1957年(昭和32年)ぐらいから芸能界に入り、1959年(昭和34年)頃に火石プロを名乗る。東高円寺駅近くに事務所があったようだ[1]。「ピンク女優130人前後、男優30人ほどを擁する日本一のポルノ専科プロ」と紹介されている[2]。北美マヤなどはSMセレクトのモデルにも出演している。
履歴
1959年(昭和34年)頃、火石プロを名乗る。
1966年(昭和41年)4月、『実話と秘録 4月増刊号』(明文社)で火鳥こずえのグラビア特集。「火石プロ所属」と紹介されている。
1968年(昭和43年)、ピンク俳優の権利を守る「独立映画俳優協会」の理事長に就任。発足会の様子は団鬼六の『鬼六談義 狐の話』奇譚クラブ1968年(昭和43年)5月号で紹介されている。
1971年(昭和46年)、プレイボーイ12月7日号に『ポルノ専科 可愛いコちゃん30人体当り面接調査』として大きく紹介されている[2]。
1971年(昭和46年)、「時間ですよ」シリーズの女湯場面に女優供給[3]。
1972年(昭和47年)2月12日、未成年者を就労させた疑いで火石プロの社長(42)を検挙[4]。
1972年(昭和47年)9月、「五十人ヌード撮影会」。入場料2万円[5]。
1973年(昭和48年)1月14日、新宿三福会館にて「百人ヌード撮影会」。入場料1万円 [6]。
1973年(昭和48年)、東映映画『セックスドキュメント エロスの女王』(監督:中島貞夫、音楽:荒木一郎、出演:火石利男、ローズ秋山夫妻、稲倉清純)で火石利男の率いる火石プロが紹介されている。
所属女優
- 火鳥こずえ
- 辰巳典子[7]
- 鈴木いずみ=浅香なおみ。「処女の戯れ」1970でデビュー。天井桟敷に出入り。「文学界」の新人賞候補。1986自殺
- 愛染恭子[1]
- 千波順子[1]
- 原田小笛、蓮見蘭子、小芝育子、滝良美、高尾ローリエ、森川まゆみ、中条てるみ、高城なおみ、鏡洋子、西条マリ、戸河リコ、大河美晴、深美アヤ、管美鳥、千原和加子、秋津公子、高見由紀、大芝かおり、大杉真紀、沖さとみ、霧原ゆか、北美マヤ、星リナ、村尾るみ、谷亜紀、空井みずほ、椿由香、村西房江、塩瀬夕子[2]