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'''やまもと かずあき'''、1930年(昭和5年)前後?<ref name="Urado">[[浦戸宏]]、私信 to A</ref>-。1960年代に奇譚クラブを中心に活動していた関西の緊縛マニア。縄目のはっきりした緊縛技法は[[明智伝鬼]]へと通じるものがあり、事実、[[明智伝鬼]]との交流があったとされている。『カメラルポ』シリーズで知られる。
'''やまもと かずあき'''、1927年(昭和2年)<ref group="">[[辻村隆]]『[[辻村隆]]・[[山本一章]]対談 緊縛モデル秘奥談義』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196705/023.html p26]で、[[辻村隆]]が6, 7才年上であると述べていることから逆算。</ref>-。1960年代に「[[奇譚クラブ]]」に『[[カメラルポ この女と]]』シリーズを連載していた関西のマニア。目隠しや猿轡で五官をもぎ取る精神的な責めが特徴。 [[辻村隆]][[明智伝鬼]]と交流。
==概要==
==概要==
緊縛師。大阪在住のSMマニアで[[奇譚クラブ]]に小説『痴人の糧』シリーズ、ルポ『カメラルポ』シリーズを1960年代後半に投稿をしていた。その後[[SUN&MOON]]誌に『カメラルポ』シリーズ。
緊縛師。大阪在住のSMマニアで[[奇譚クラブ]]に小説『痴人の糧』シリーズ、ルポ『[[カメラルポ この女と]]』シリーズを1960年代後半に投稿をしていた。その後[[SUN&MOON]]誌に『カメラルポ』シリーズ。


==別名==
==別名==
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*[[明智伝鬼]]が2005年のインタビューで「[[山本一章]]と一緒に練習したりパートナーを交換したりした」と述べている<ref name="Osada">長田スティーブによるインタビュー(2005年7月)。[http://tokyobound.com/blog/?p=114 Tokyo Bound]で公開。</ref>。
*[[明智伝鬼]]が2005年のインタビューで「[[山本一章]]と一緒に練習したりパートナーを交換したりした」と述べている<ref name="Osada">長田スティーブによるインタビュー(2005年7月)。[http://tokyobound.com/blog/?p=114 Tokyo Bound]で公開。</ref>。
*「目隠し」「耳栓」「猿轡」が特徴<ref name="hunt">[[辻村隆]]『SMカメラハント 特訓プレイ妻 佐野みさ子の巻』[[奇譚クラブ]]1972年(昭和47年)12月号</ref>。
*「目隠し」「耳栓」「猿轡」が特徴<ref name="hunt">[[辻村隆]]『SMカメラハント 特訓プレイ妻 佐野みさ子の巻』[[奇譚クラブ]]1972年(昭和47年)12月号</ref>。
*仕事で上京時、マルゴあたりに出没し独自の方法でハントしている<ref name="hunt"></ref>。
*[[辻村隆]]が「([[山本一章]]の縛りは)縦縄で股縛りして、横縄を、胸、腹、股とかけてゆくといった、”キの字型”の緊縛(が特徴)」「あなたの緊縛も体分きついですネ」「殆どが、目隠し、猿轡になっている」「山本さんのは単に口を上から手拭いか布で蔽うといったやり方ではなくて、縄を使って、口をあけさせておき、くびれるくらいに深く縄を食い込ませてあげる」「横縛りの縄は、たすきに掛けたものや、二の腕を何重にも巻いて、締め上げたものがとても多い」と指摘<ref name="Higidangi">[[辻村隆]]『[[辻村隆]]・[[山本一章]]対談 緊縛モデル秘奥談義』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196705/023.html p26]</ref>。
*[[山本一章]]は[[辻村隆]]との対談で「単に体の緊縛だけではなく、五官のすべてをもぎとってやりたい」「肉体的、精神的の両面から、責めの極限ぎりぎりを追求して、その時の女の被虐の様相を見極めて見たい」「([[木村洋子]]さんを)フォトでは目隠しと猿轡だけのように見えますが、実際は耳にも綿をつめ、鼻孔にもつめまして、辛うじて呼吸出来得る状態にした」<ref name="Higidangi"></ref>
*仕事で上京時、[[マルゴ]]あたりに出没し独自の方法でハントしている<ref name="hunt"></ref>。
*1965年頃に18,9才のソープ嬢でM性の強い榎本葉子と知り合う。この経験が『知人の糧』の素材となっている<ref name="Higidangi"></ref>。
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.A6.E8.BF.91.E9.BA.BB.E7.90.86.E5.AD.90|左近麻理子]]の名は[[山本一章]]氏が付けた。
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.B7.A6.E8.BF.91.E9.BA.BB.E7.90.86.E5.AD.90|左近麻理子]]の名は[[山本一章]]氏が付けた。
*[[浦戸宏]]が「山本は単独プレイ派、[[ロマン派生]]は複数プレイは、それに[[早坂信治]]派と、マイナーな[[鈴井是雄]]、[[村上信也]]などがいる」「山本は綿ロープをわざわざ汚して使う」と説明<ref name="SM">SUN&MOON1978年(昭和53年)8,9月号</ref>。
*[[浦戸宏]]が「山本は単独プレイ派、[[ロマン派生]]は複数プレイは、それに[[早坂信治]]派と、マイナーな[[鈴井是雄]]、[[村上信也]]などがいる」「山本は綿ロープをわざわざ汚して使う」と説明<ref name="SM">SUN&MOON1978年(昭和53年)8,9月号</ref>。
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*[[山本一章]]『痴人の糧 嬲りもの(二)』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196610/01/051.html p54]
*[[山本一章]]『痴人の糧 嬲りもの(二)』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196610/01/051.html p54]
*[[山本一章]]『逆さ吊りにされたモデル』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)1月号
*[[山本一章]]『逆さ吊りにされたモデル』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)1月号
*[[山本一章]]『カメラルポ この女と』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)2月号〜1968年(昭和43年)5月号
*'''[[山本一章]]『[[カメラルポ この女と]]』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)2月号〜1968年(昭和43年)6月号'''
*[[辻村隆]]『[[辻村隆]][[山本一章]]対談 緊縛モデル秘奥談義』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196705/023.html p26]
{{カメラルポ この女と}}
*[[山本一章]]『カメラルポ この女と [[大塚啓子]]の巻』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号
*[[山本一章]]『'''[[カメラルポ]] 「この女を」[[谷山久美子]]のこと(一)(二)'''』[[サンアンドムーン]]1978年(昭和53年)5月号, p8
*[[山本一章]]『カメラルポ この女と [[谷山久美子]]の巻』[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196806/221.html p224]
*[[山本一章]]『'''[[カメラルポ]] 「この女を」[[谷山久美子]]のこと(三)'''』[[サンアンドムーン]]1978年(昭和53年)6月号 [http://nawa-art.com/etc/SUN&MOON/197806/044.html ,p44]
*[[SUN&MOON]]1978年(昭和53年)8,9月号で対談。
*[[山本一章]][[ロマン派生]]『'''対談 其の一'''』[[サンアンドムーン]]1978年(昭和53年)8月号
*[[山本一章]][[ロマン派生]]『'''対談 其の二'''』[[サンアンドムーン]]1978年(昭和53年)9月号


== 引用文献==
== 引用文献==
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2020年2月16日 (日) 17:34時点における最新版

山本一章による縛り。モデルは谷山久美子

やまもと かずあき、1927年(昭和2年)頃[注 1]-。1960年代に「奇譚クラブ」に『カメラルポ この女と』シリーズを連載していた関西のマニア。目隠しや猿轡で五官をもぎ取る精神的な責めが特徴。 辻村隆明智伝鬼と交流。

概要

緊縛師。大阪在住のSMマニアで奇譚クラブに小説『痴人の糧』シリーズ、ルポ『カメラルポ この女と』シリーズを1960年代後半に投稿をしていた。その後SUN&MOON誌に『カメラルポ』シリーズ。

別名

Kazuaki Yamamoto、いっしょう[注 2]

略歴

エピソード

  • 明智伝鬼が2005年のインタビューで「山本一章と一緒に練習したりパートナーを交換したりした」と述べている[1]
  • 「目隠し」「耳栓」「猿轡」が特徴[2]
  • 辻村隆が「(山本一章の縛りは)縦縄で股縛りして、横縄を、胸、腹、股とかけてゆくといった、”キの字型”の緊縛(が特徴)」「あなたの緊縛も体分きついですネ」「殆どが、目隠し、猿轡になっている」「山本さんのは単に口を上から手拭いか布で蔽うといったやり方ではなくて、縄を使って、口をあけさせておき、くびれるくらいに深く縄を食い込ませてあげる」「横縛りの縄は、たすきに掛けたものや、二の腕を何重にも巻いて、締め上げたものがとても多い」と指摘[3]
  • 山本一章辻村隆との対談で「単に体の緊縛だけではなく、五官のすべてをもぎとってやりたい」「肉体的、精神的の両面から、責めの極限ぎりぎりを追求して、その時の女の被虐の様相を見極めて見たい」「(木村洋子さんを)フォトでは目隠しと猿轡だけのように見えますが、実際は耳にも綿をつめ、鼻孔にもつめまして、辛うじて呼吸出来得る状態にした」[3]
  • 仕事で上京時、マルゴあたりに出没し独自の方法でハントしている[2]
  • 1965年頃に18,9才のソープ嬢でM性の強い榎本葉子と知り合う。この経験が『知人の糧』の素材となっている[3]
  • 左近麻理子の名は山本一章氏が付けた。
  • 浦戸宏が「山本は単独プレイ派、ロマン派生は複数プレイは、それに早坂信治派と、マイナーな鈴井是雄村上信也などがいる」「山本は綿ロープをわざわざ汚して使う」と説明[4]

代表作

引用文献

  1. 長田スティーブによるインタビュー(2005年7月)。Tokyo Boundで公開。
  2. 2.0 2.1 辻村隆『SMカメラハント 特訓プレイ妻 佐野みさ子の巻』奇譚クラブ1972年(昭和47年)12月号
  3. 3.0 3.1 3.2 辻村隆辻村隆山本一章対談 緊縛モデル秘奥談義』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号, p26
  4. SUN&MOON1978年(昭和53年)8,9月号

注釈

  1. 辻村隆辻村隆山本一章対談 緊縛モデル秘奥談義』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号, p26で、辻村隆が6, 7才年上であると述べていることから逆算。
  2. 「かずあき」が正式名だが、「いっしょう」と呼ばれていた。

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