「三島由紀夫」の版間の差分
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みしま ゆきお、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日
概要
奇譚クラブの愛読者でもあった。特に沼正三の『家畜人ヤプー』を好む。切腹研究家の中康弘通と親交があった。
別名
english、平岡公威
略歴
1925年(大正14年)1月14日、東京に生まれる。
1971年(昭和46年)、『黒の手帖』(檸檬社)創刊号に前田海らによる「三島由紀夫・特集」。
1970年(昭和45年)11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で切腹して永眠。
2004年(平成16年)4月、劇団うずめ劇場が鈴木泉三郎・三島由紀夫・作、藤沢友・演出『火あぶり 班女』を北九州市折尾ウテルスホールで上演。
エピソード
- 式場隆三郎と交流があり、三島は自らの同性愛的な性的指向を式場隆三郎に告白している。
- 「三島由紀夫が奇譚クラブの編集室を訪れた」と須磨利之がしばしば書いているが真偽は定かで無い。
- 三島由紀夫の推薦で中川彩子は文学座の美術を何度か担当[1]。
- 三島由紀夫は『家畜人ヤプー』を世に出したくて、中央公論社に持ちこんだりしていたといわれている[2]
- 月岡芳年を評価。
代表作
引用文献
- ↑ 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
- ↑ 内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』(論創社, 2013.3)