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『'''SMコレクター'''』(えすえこれくたー)は、SM雑誌である。
{{S&Mコレクター}}
 
== 概要 ==
 
== 発行年・出版社==
1972年(昭和47年)10月-1985年(昭和60年)5月号 [[サン出版]]
 
== 発行人・編集人==
 
== 増刊号==
*1980年(昭和55年)[[SMコレクター]]7月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1981年(昭和56年))[[SMコレクター]]1月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1981年(昭和56年))[[SMコレクター]]6月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1981年(昭和56年))[[SMコレクター]]12月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1982年(昭和57年))[[SMコレクター]]3月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1982年(昭和57年))[[SMコレクター]]7月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1982年(昭和57年))[[SMコレクター]]12月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1983年(昭和58年))[[SMコレクター]]4月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1983年(昭和58年))[[SMコレクター]]9月号増刊として『'''[[SMフォト全集]]'''』
*1983年(昭和58年))[[SMコレクター]]12月号増刊として『'''SMフォト夢幻館'''』
*1984年(昭和59年))[[SMコレクター]]3月号増刊として『'''SMフォト夢幻館'''』
*1985年(昭和60年))[[SMコレクター]]3月号増刊として『'''SMフォト夢幻館'''』
 
== エピソード==
*[[須磨利之]]が病気で倒れるまでは、[[吉田潤]]、[[花沢正治]]がカメラマン、[[須磨利之]]が緊縛師で写真撮影をおこなていた<ref name="memo">[[濡木痴夢男仕事メモ]]</ref>。
*「[[東京三世社]]の[[濡木痴夢男]]」「[[サン出版]]の[[美濃村晃]]」と棲み分けがあったが、[[美濃村晃]]が病気で倒れたため[[サン出版]]は[[豊幹一郎]]で[[濡木痴夢男]]を売り出す。
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
== お役たちweb==
==つながり==
 
 
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[[Category:雑誌]]
[[Category:総索引]]

2015年9月3日 (木) 07:42時点における最新版

SMコレクター 1972年(昭和47年)12月創刊号。表紙は篠崎春夫

えすえこれくたー

概要

東京三世社SMセレクトを創刊した宮坂信が独立してサン出版を設立し出版したSM雑誌。須磨利之宮坂信と共に東京三世社からサン出版へと主な発表場所を変える。

別名

SMコレクターS&Mコレクター、コレクター

発行年・出版社

1972年(昭和47年)12月-1985年(昭和60年)5月号 サン出版

発行人・編集人

進藤貞夫 宮坂信

主な出来事

1972年(昭和47年)12月1日、発行編集人進藤貞夫で12月創刊号。表紙は篠崎春夫団鬼六「縄の館」、千草忠夫「縄恋い」、安芸蒼太郎「妖異地獄寺」、扇紳之介「妖かしの犬」、「SM映画ハイライト集1」など。絵は美濃村晃前田寿安ら。

1979年(昭和54年)5月、須磨利之が脳溢血で倒れ、制作への関与が制限される。

1985年(昭和60年)5月、終刊。

別冊・増刊号

椋陽児秘蔵画集 処女狩りSMコレクター1981年(昭和56年)4月号増刊

エピソード

表紙

引用文献

注釈

お役たちweb

つながり

小説コレクター