「目黒エンペラー」の版間の差分

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[[画像:Emperor1.jpg|350px|thumbnail|[[スペシャリーS&M]]第6号からの写真]]
[[画像:Emperor1.jpg|350px|thumbnail|[[スペシャリーS&M]]第6号(1979)からの[[荒川也寸志]]による写真。上の3葉は[[目黒エンペラー]]の「灼熱の間」で、下の写真は[[夢の城]]の「真珠の間」。]]
1973年(昭和48年)に目黒にオープンした超豪華ホテル。回転ベッド、VTR装置、透明エレベーター、ゴンドラなどの設備で話題を集め、ラブホテルブームの火付け役。SMの部屋「'''灼熱の間'''」も最上階に。1989年には一般的なラブホテルへ。
==概要==
==概要==
1973年(昭和48年)にオープンした初期のラブホテル。SMの部屋もあった。
1973年(昭和48年)にオープンした初期のラブホテル。SMの部屋もあった。70年代のラブホテルブームの火付け役的存在。
==別名==
==別名==


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==歴史==
==歴史==
1973年(昭和48年)12月、オープン。地上8階、地下1階、全30室で建設費7億円<ref name="‎#Wikipedia">[https://ja.wikipedia.org/wiki/ Wikipedia]より</ref>。
1973年(昭和48年)12月、株式会社東興によりオープン。地上8階、地下1階、全30室で建設費7億円<ref name="‎#Wikipedia">[https://ja.wikipedia.org/wiki/ Wikipedia]より</ref>。


1975年(昭和50年)、「週刊大衆」3月13日号に紹介。
1975年(昭和50年)、「[[週刊大衆]]」3月13日号に紹介。


1976年(昭和51年)、[[モンド映画]]のあつである『'''[[Shocking Asia]]'''』で紹介されている。
1976年(昭和51年)、[[モンド映画]]の1つである『'''[[Shocking Asia]]'''』で紹介されている。


1980年代、閉店。
1988年 (昭和63年)10月、ホテル石庭グループに30億円で買収<ref name="‎#Wikipedia"></ref>。


2007年、再オープン。
1989年 (昭和64年)9月、改装後「目黒倶楽部石庭」と改称しリニューアルオープン<ref name="‎#Wikipedia"></ref>。
 
2007年(平成19年)9月、[[目黒エンペラー]]の名称を復活<ref name="‎#Wikipedia"></ref>。


==エピソード==
==エピソード==
*「シーソーベッド」「回転ベッド」「VTR装置」「スケスケエレベーター」「ゴンドラ」などが設置<ref>[[週刊大衆]]1975年(昭和50年)3月13日号</ref>。
*1970年代のTVドラマ「傷だらけの天使 」の第21話のロケ地。
*1970年代のTVドラマ「傷だらけの天使 」の第21話のロケ地。
*「9階905号「灼熱の間」がSM拷問室」<ref>[[佐土魔造]]『'''潜入レポート SM情報交流会'''』[[SMセレクト]]1976年(昭和51年)5月号</ref>
*「9階905号「灼熱の間」がSM拷問室」<ref>[[佐土魔造]]『'''潜入レポート SM情報交流会'''』[[SMセレクト]]1976年(昭和51年)5月号</ref>
*1980年代には「目黒エンペラー消し忘れビデオI-IV」が出る。
*1980年代には「目黒エンペラー消し忘れビデオI-IV」が出る<ref>[[シークレット]] 1988年(昭和63年)第8号</ref>。
*「[[目黒ルビ]]にて専用に使っていたホテルです、エンペラーの会長はルビをオープンした当時に同じマンションに住んでおりました、私は挨拶に行っております。エンペラーを石庭グループに売りハワイに永住したようです。」<ref>[[松本靖夫]]氏の[https://twitter.com/KtGo187246/status/1856647275814244609 Xへの書き込み]。</ref>
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画像:MeguroEmperor01.jpg|[[週刊大衆]]1975年(昭和50年)3月13日号の[[目黒エンペラー]]の記事<ref group="注">伊藤裕作『戦後を彩った女たち』に転載されているもの。</ref>
画像:ShockingAsia.jpg|『'''[[Shocking Asia]]'''』(1976)で紹介されている[[目黒エンペラー]]。
画像:ShockingAsia.jpg|『'''[[Shocking Asia]]'''』(1976)で紹介されている[[目黒エンペラー]]。
画像:快美小説SMClub02.png|『'''女を泣かせる部屋'''』[[快美 小説SM CLUB]] 1977年(昭和52年)8月号。
画像:快美小説SMClub02.png|『'''女を泣かせる部屋'''』[[快美 小説SM CLUB]] 1977年(昭和52年)8月号。
画像:Emperor1.jpg|[[スペシャリーS&M]]第6号(1979)
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2024年11月13日 (水) 20:51時点における最新版

スペシャリーS&M第6号(1979)からの荒川也寸志による写真。上の3葉は目黒エンペラーの「灼熱の間」で、下の写真は夢の城の「真珠の間」。

1973年(昭和48年)に目黒にオープンした超豪華ホテル。回転ベッド、VTR装置、透明エレベーター、ゴンドラなどの設備で話題を集め、ラブホテルブームの火付け役。SMの部屋「灼熱の間」も最上階に。1989年には一般的なラブホテルへ。

概要

1973年(昭和48年)にオープンした初期のラブホテル。SMの部屋もあった。70年代のラブホテルブームの火付け役的存在。

別名

所在地

東京都目黒区下目黒2−1−6

歴史

1973年(昭和48年)12月、株式会社東興によりオープン。地上8階、地下1階、全30室で建設費7億円[1]

1975年(昭和50年)、「週刊大衆」3月13日号に紹介。

1976年(昭和51年)、モンド映画の1つである『Shocking Asia』で紹介されている。

1988年 (昭和63年)10月、ホテル石庭グループに30億円で買収[1]

1989年 (昭和64年)9月、改装後「目黒倶楽部石庭」と改称しリニューアルオープン[1]

2007年(平成19年)9月、目黒エンペラーの名称を復活[1]

エピソード

  • 「シーソーベッド」「回転ベッド」「VTR装置」「スケスケエレベーター」「ゴンドラ」などが設置[2]
  • 1970年代のTVドラマ「傷だらけの天使 」の第21話のロケ地。
  • 「9階905号「灼熱の間」がSM拷問室」[3]
  • 1980年代には「目黒エンペラー消し忘れビデオI-IV」が出る[4]
  • 目黒ルビにて専用に使っていたホテルです、エンペラーの会長はルビをオープンした当時に同じマンションに住んでおりました、私は挨拶に行っております。エンペラーを石庭グループに売りハワイに永住したようです。」[5]

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 Wikipediaより
  2. 週刊大衆1975年(昭和50年)3月13日号
  3. 佐土魔造潜入レポート SM情報交流会SMセレクト1976年(昭和51年)5月号
  4. シークレット 1988年(昭和63年)第8号
  5. 松本靖夫氏のXへの書き込み

注釈

  1. 伊藤裕作『戦後を彩った女たち』に転載されているもの。

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