「若松劇場」の版間の差分
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==概要== | ==概要== | ||
千葉県にあった100席程度のストリップ劇場。一時期、『'''[[ニューモダンアート]]'''』と名前を変え、[[川上譲治]]企画のストリップショーをおこなっていた。1991年(平成3年)からは[[長田英吉]]が社長に就任し、SMショーを開催していた。現在休館中。 | |||
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1961年(昭和36年)3月1日、開館<ref name="vivit_2012">[http://blog.livedoor.jp/vivit_2012/archives/34931294.html 東京ベイ船橋ビビット2013-2012]</ref>。 | 1961年(昭和36年)3月1日、開館<ref name="vivit_2012">[http://blog.livedoor.jp/vivit_2012/archives/34931294.html 東京ベイ船橋ビビット2013-2012]</ref>。 | ||
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1969年(1969年)4月13日、仮設ストリップ劇場の名称で開館。 | 1969年(1969年)4月13日、仮設ストリップ劇場の名称で開館。 | ||
1981年(昭和56年)6月、経営不振で女経営者が夜逃げし、売りに出たところを、当時[[スカイ劇場]]のオーナーだった萩本が買い取り、『'''ニューモダンアート'''』そして再スタート<ref name="saraba">[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)</ref>。 | 1981年(昭和56年)6月、経営不振で女経営者が夜逃げし、売りに出たところを、当時[[スカイ劇場]]のオーナーだった萩本が買い取り、『'''[[ニューモダンアート]]'''』そして再スタート<ref name="saraba">[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)</ref>。 | ||
1981年(昭和56年)7月1日、[[川上譲治]]企画によるオープン記念特別興行『[[アリアドーネの会]]』<ref group="注">[[スカイ劇場]]以来のつきあい。大田区山王に事務所をもち、主宰者は[[カルロッタ池田]]。ヨーロッパ遠征の資金稼ぎにストリップ劇場に出る。反響が大きく、[[郡山ミュージック劇場]]他、6つの劇場を回り500万円を稼ぐ。</ref><ref name="saraba"></ref>。 | |||
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*1981年頃、船橋には船橋ハリウッド、西船橋OS、柏マッドハウス、浦安ヌードなど、過激な内容のストリップ劇場が存在した。 | *1981年頃、船橋には船橋ハリウッド、西船橋OS、柏マッドハウス、浦安ヌードなど、過激な内容のストリップ劇場が存在した。 | ||
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2024年9月12日 (木) 15:31時点における最新版
概要
千葉県にあった100席程度のストリップ劇場。一時期、『ニューモダンアート』と名前を変え、川上譲治企画のストリップショーをおこなっていた。1991年(平成3年)からは長田英吉が社長に就任し、SMショーを開催していた。現在休館中。
別名
歴史
1961年(昭和36年)3月1日、開館[1]。
1969年(1969年)4月13日、仮設ストリップ劇場の名称で開館。
1981年(昭和56年)6月、経営不振で女経営者が夜逃げし、売りに出たところを、当時スカイ劇場のオーナーだった萩本が買い取り、『ニューモダンアート』そして再スタート[2]。
1981年(昭和56年)7月1日、川上譲治企画によるオープン記念特別興行『アリアドーネの会』[注 1][2]。
1988年(昭和63年)4月1日-10日、早乙女宏美 VS 長田ゼミナール[3]
1991年(平成3年)、長田英吉が社長に。
1997年(平成9年)6月14日と19日、若松劇場にて「長田ゼミナール」。出演:長田英吉、早乙女宏美[4]。
2001年(平成13年)頃、有末剛が、倒れた長田英吉の代理で舞台に立つ[5]。相手は早乙女宏美。次に卯月妙子。
2004年(平成16年)9月11-20日、若松劇場にて『入江まこプロデュースSMイベント Part 2 ラブピアス』。出演:志摩紫光、乱田舞、ミラ狂美、早乙女宏美、結城あみ、入江まこ。
2010年(平成22年)5月、公然わいせつの疑いで経営者らの逮捕。
2013年(平成25年)9月10日、閉館[1]。
所在地
千葉県船橋市本町2-17-27
トピックス
- 1974年(昭和49年)の12月頃には木更津別世界行政処分中でダメ。若松劇場も処分中、しかし系列館のアラジン劇場が健闘。千葉市には現在4軒、千葉ロマンス座、千葉さかえ座、蘇我裸裸劇場、蘇州劇場。[6]。
- 1981年頃、船橋には船橋ハリウッド、西船橋OS、柏マッドハウス、浦安ヌードなど、過激な内容のストリップ劇場が存在した。
- 52
引用文献
注釈
- ↑ スカイ劇場以来のつきあい。大田区山王に事務所をもち、主宰者はカルロッタ池田。ヨーロッパ遠征の資金稼ぎにストリップ劇場に出る。反響が大きく、郡山ミュージック劇場他、6つの劇場を回り500万円を稼ぐ。
お役たちweb
- 西条昇の浅草エンタメ散歩←70年代前半の劇場前写真。劇場前には初代・一条さゆりと並ぶ人気ストリッパーの桐かおるによる〝4人Wレスビアン〟の看板