「100万人のよる」の版間の差分

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== 発行人・編集人==
== 発行人・編集人==
*1956年(昭和31年)4月号は、発行・編集人:[[山田貞子]]とある。
*1956年(昭和31年)4月号は、発行・編集人:[[山田貞子]]とある。
*1957年(昭和32年)4月号は、編集:[[青木良信]]
*1959年(昭和34年)10月増刊号は、編集:[[榎本一男]]
*1961年(昭和36年)1月号は、発行人:[[榎本一男]]、印刷人:森高繁雄で[[季節風書店]]とある。
*1961年(昭和36年)1月号は、発行人:[[榎本一男]]、印刷人:森高繁雄で[[季節風書店]]とある。
*1962年(昭和37年)12月号は、発行人:[[渡辺勤]]、印刷人:北川清で株式会社[[新風社]]内[[季節風書店]]とある。
*1962年(昭和37年)12月号は、発行人:[[渡辺勤]]、印刷人:北川清で株式会社[[新風社]]内[[季節風書店]]とある。
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1957年(昭和32年)、品切れバックナンバーを求める読者の要望に応えるべく、既刊号の中から一部分ずつを再編集した合冊版を応急策として発行<ref group="注">巻号数はカウントされていない。第4集まで発行を確認(by 黒田)。</ref>。
1957年(昭和32年)、品切れバックナンバーを求める読者の要望に応えるべく、既刊号の中から一部分ずつを再編集した合冊版を応急策として発行<ref group="注">巻号数はカウントされていない。第4集まで発行を確認(by 黒田)。</ref>。


1958年(昭和33年)、11月号に高木彬光や堀紋之助を招いた座談会「モダンいれずみ 医療の刺青から恥部の刺青まで」を掲載。
1958年(昭和33年)、11月号に高木彬光や堀紋之助を招いた座談会「モダンいれずみ 医療の[[刺青]]から恥部の[[刺青]]まで」を掲載。


1959年(昭和34年)、姉妹誌『[[世界裸か美画報]]』創刊<ref group="注">1961年(昭和36年)に『[[裸か美グラフ]]』と誌名改題</ref>。
1959年(昭和34年)、姉妹誌『[[世界裸か美画報]]』創刊<ref group="注">1961年(昭和36年)に『[[裸か美グラフ]]』と誌名改題</ref>。

2023年11月30日 (木) 07:48時点における最新版

100万人のよる 1956年(昭和31年)4月創刊号
火鳥こずえ100万人のよる』(季節風書店, 1963年12月号)表紙。

ひゃくまんにんのよる。 1956年(昭和31年)に季節風書店より創刊、1966年頃まで続いた総合エロ雑誌。高橋鐵花巻京太郎(団鬼六)、沖渉二笠間しろう等が寄稿。

概要

1956年(昭和31年)に季節風書店より創刊された雑誌。創刊当初は「性科学を中心とした図解風俗誌」とアピールポイントが記されていた。徐々に成人男性向けの画報雑誌へと変化を遂げていく。

発行年・出版社

1956年(昭和31年)4月〜1966年(昭和41年)、季節風書店新風出版社、プレイグラフ社と出版元が変わる。

発行人・編集人

主な出来事

1956年(昭和31年)4月、季節風書店より創刊。

1957年(昭和32年)、品切れバックナンバーを求める読者の要望に応えるべく、既刊号の中から一部分ずつを再編集した合冊版を応急策として発行[注 1]

1958年(昭和33年)、11月号に高木彬光や堀紋之助を招いた座談会「モダンいれずみ 医療の刺青から恥部の刺青まで」を掲載。

1959年(昭和34年)、姉妹誌『世界裸か美画報』創刊[注 2]

1961年(昭和36年)、11月号に花巻京太郎『美女が絶叫する変態観劇パーティー』。

1963年(昭和38年)11月、『100万人のよる 11月増刊 甘い写真第1集』発行[注 3]

1966年(昭和41年)、9月号より季節風書店から新風出版社へと発行元が変わる。

エピソード

引用文献

注釈

  1. 巻号数はカウントされていない。第4集まで発行を確認(by 黒田)。
  2. 1961年(昭和36年)に『裸か美グラフ』と誌名改題
  3. 背表紙には『100万人のよる 臨時増刊 世界の“甘い写真”一〇〇選』とあり、奥付は『100万人のよる 臨時増刊』とある。8巻13号
  4. 1990年(平成2年)没。作家でもあり、日本探偵作家クラブの会員でもあった。

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