「長谷川敬」の版間の差分
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*『緊縛耽美写真集2』([[司書房]], 1997.12)<ref group="注" name="ex02"></ref> | *『緊縛耽美写真集2』([[司書房]], 1997.12)<ref group="注" name="ex02"></ref> | ||
*[[BIZARRE MAGAZINE(日)]]1995年(平成7年)7月号に『'''懐かしの緊縛写真 檄 はせけい'''』が。 | |||
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2023年9月13日 (水) 16:24時点における最新版
はせがわ けい、19??年(昭和??年)-
概要
風景写真家出身の写真家。杉浦則夫が抜けた司書房だが、しばらくして長谷川敬が登場(1982年頃)。実力のある写真家で期待されたがしばらくして風景写真の世界に戻る[1] 。
別名
略歴
1982年(昭和57年)春頃、司書房から浅田昌弘、松本裕、杉浦則夫らが離脱。司書房が杉浦則夫に変わるメインカメラマンとして長谷川敬に仕事を依頼[2]。
エピソード
- 司書房から依頼された時点で、既に他の分野で成功した写真家であった[2]。おそらく他の名前があるのであろう。
- 濡木痴夢男とのコンビ作品も多い。濡木痴夢男は長谷川敬の緊縛写真を評価している[2]。
- SMファン1984年(昭和59年)4月号の『豊幹一郎の唯縄士独尊』で「現在長谷川カメラマンは、司書房発行の「SMファン」」本誌および「別冊SMファン」の専属のような形になっており、ほかのSM雑誌には一切登場しない」「永野(永野邦裕)編集長と長谷川(長谷川敬)カメラマンのコンピがいま実にぴったりとうまく」とある。
代表作
- 別冊SMファン1983年(昭和58年)10月号の「豊幹一郎の撮影同行記」に「長谷川カメラマン」として登場。
- 長谷川敬『撮影現場メモリアル』別冊SMファン1984年(昭和59年)6月号[注 1]
- 小説SMセレクト1985年3月号の早乙女宏美の写真。
- 『緊縛耽美写真集1』(司書房, 1997.7)[注 2]
- 『緊縛耽美写真集2』(司書房, 1997.12)[注 2]
- BIZARRE MAGAZINE(日)1995年(平成7年)7月号に『懐かしの緊縛写真 檄 はせけい』が。