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2021年11月8日 (月) 12:53時点における最新版
あきた まさみ、1956年12月19日-
概要
風俗史研究家。音楽家。
別名
略歴
1956年(昭和31年)12月19日、東京生まれ
1970年代、玉川大学文学部芸術学科卒業。
1979年(昭和54年)、Merzbow(メルツバウ)として音楽活動(ノイズミュージック)。
1983年(昭和58年)、文筆家としても活動開始。雑誌「CLASH」への執筆が最初[1]。
1989年(平成元年)2月4日[2]、秋田昌美が『切腹』の取材で濡木痴夢男と初めて会い意気投合。[注 1][1]以後、緊美研の中心メンバー。
1989年(平成元年)春、春原悠理が切腹にフーカスした不二企画のレーベル『ライトブレーン』をスタート。秋田昌美も制作に関わる[1][2]。
1989年(平成元年)4月23日、『ライトブレーン』レーベルの第1作である『女腹切り・散華』の撮影。
1997年(平成9年)4月、Secret Magazine12号, pp.53-55に "Punishment and the beauty of Japanese bondage (Kinbaku): The History of S&M in Japan"を寄稿。(→『緊縛の捕縄術起源論』参照)
エピソード
代表作
書籍
- 秋田昌美『倒錯のアナグラム―周縁的ポルノグラフィーの劇場』(青弓社, 1988/11)
- 秋田昌美 『異形のマニエリスム―「邪」の民俗』(青弓社, 1989/06)
- 秋田昌美『フェティッシュ・ファッション―変貌するエロスと快楽身体』(青弓社, 1990/06)
- 秋田昌美『セックス・シンボルの誕生』(青弓社, 1991/11)
- 秋田昌美『ノイズ・ウォー―ノイズ・ミュージックとその展開』(青弓社, 1992/12)
- 秋田昌美『快楽身体の未来形―TERMINAL BODY PLAY』(青弓社, 1993/06)
- 秋田昌美『ボディ・エキゾチカ』 (水声社, 1993/08)
- 秋田昌美『スカム・カルチャー』(水声社, 1994/08)
- 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』(青弓社, 1994)
- 秋田昌美『裸体の帝国』 (水声社, 1995/06)
- 秋田昌美・濡木痴夢男・不二秋夫『日本緊縛写真史 1』 (自由国民社, 1996)
- 秋田昌美『アナル・バロック』(青弓社, 1997/04)
- 秋田昌美 『ヴィンテージ・エロチカ』(青弓社, 1998/02)
- 秋田昌美 『女陰考―性学古典より』 (桜桃書房, 1999/10)
- 秋田昌美 『ストレンジ・ヌード・カルト―不思議の裸体天国』(水声社, 1999/11)
- 秋田昌美 『ラブ・ポジション』(桜桃書房, 2000/11)
- 秋田昌美 『わたしの菜食生活』(太田出版, 2005/12)
雑誌
- 秋田昌美『斎藤昌三と昭和の蒐集狂』BIZARRE MAGAZINE(日)1992年(平成4年)5月号
CD
- Merzbow『緊縛の為の音楽(MUSIC FOR BONDAGE PERFORMANCE)』(EXTREME, 1991)