「肉体の門」の版間の差分

提供:SMpedia
 
(2人の利用者による、間の19版が非表示)
1行目: 1行目:
[[画像:Nikutainomon.jpg|300px|thumbnail|「[[空気座]]」による「[[肉体の門]]」公演。『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)より]]
'''にくたいのもん'''。戦後パンパンの恋物語り。[[田村泰次郎]]の1947年作品。同年夏には帝都座にて「'''[[空気座]]'''」よる芝居。リンチシ場面が話題となり、50万人観客動員。映画作品も4つ(マキノ雅弘、[[鈴木清順]]、[[西村昭五郎]]、五社英雄)。
==概要==
戦後まもなく話題となった田村泰次郎の小説。戦後有楽町のパンパン(売春婦)<ref group="注">15万人いたと言われている。</ref>の生活を描いた作品だが、その中の半裸リンチシーンが戦後SMファンの心に残っている。
戦後まもなく話題となった田村泰次郎の小説。戦後有楽町のパンパン(売春婦)<ref group="注">15万人いたと言われている。</ref>の生活を描いた作品だが、その中の半裸リンチシーンが戦後SMファンの心に残っている。
==小説==
==原作小説==
1947年(昭和22年)3月、雑誌「群像」に発表。
1947年(昭和22年)3月、[[田村泰次郎]]<ref group="注">たむら たいじろう。1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)。三重県生まれで早稲田大学文学部卒。兵士として中国で敗戦を迎える。「肉体文学」作家として当時大人気。他に『肉体の悪魔』(1946)など。1967年に脳血栓で倒れてからほとんど活動していない。</ref>が雑誌「群像」に発表。
 
==あらすじ==
第二次世界大戦直後、東京の焼けビルの地下室で集団生活をしている娼婦の物語。「客に恋をしない」という掟を破るボルネオ・マヤの物語。


==舞台==
==舞台==
1947年(昭和22年)8月1日-15日に[[帝都座]]五階劇場にて「空気座」<ref group="注">1946年(昭和21年)、小崎政房を座長として結成。第1回公演は1946年10月。1949年3月には日劇小劇場で『獄門島』。1949年(昭和24年)には解散。主な団員は左卜全、田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦。</ref>により公演。仕掛け人は[[秦豊吉]]。脚本は小沢不二夫、演出は小崎政房<ref group="注">戦前、ムーランルージュ新宿座の脚本家として活動すると共に、大都映画では松山宗三郎の芸名で俳優として活躍。映画監督作品もある。</ref>。1000ステージ、50万人程の観客を動員した。三條ひろみが扮した主人公の娼婦ボルネオ・マヤが受けるリンチシーンがSMファンを含む多くの人々の心を奪う。8月12日には観客が飛び降り自殺する事件も起こる<ref name="The">『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)</ref>。
1947年(昭和22年)8月1日-15日に[[帝都座]]五階劇場にて「[[空気座]]」<ref group="注">1946年(昭和21年)、小崎政房を座長として結成。第1回公演は1946年10月。1949年3月には日劇小劇場で『獄門島』。1949年(昭和24年)には解散。主な団員は左卜全、田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦。</ref>により公演。仕掛け人は[[秦豊吉]]。脚本は小沢不二夫、演出は小崎政房<ref group="注">戦前、ムーランルージュ新宿座の脚本家として活動すると共に、大都映画では松山宗三郎の芸名で俳優として活躍。映画監督作品もある。</ref>。1000ステージ、50万人程の観客を動員した。三條ひろみが扮した主人公の娼婦ボルネオ・マヤが受けるリンチシーンがSMファンを含む多くの人々の心を奪う。8月12日には観客が飛び降り自殺する事件も起こる<ref name="The">『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)</ref>。


1947年(昭和22年)12月、『[[肉体の門]]』[[空気座]]北陸公演。


1947年(昭和22年)12月、『肉体の門』空気座北陸公演。
1948年(昭和23年)2月、『[[肉体の門]]』[[空気座]]九州初公演。


1948年(昭和23年)2月、『肉体の門』空気座九州初公演。
1949年(昭和23年)1月、『続[[肉体の門]]』[[空気座]]日劇小劇場公演。


1949年(昭和23年)1月、『続肉体の門』空気座日劇小劇場公演。
1949年(昭和23年)3月、『続[[肉体の門]]』[[空気座]]九州公演。


1949年(昭和23年)3月、『続肉体の門』空気座九州公演。
1964年(昭和39年)2月16日、[[道劇ミュージックホール]]にて『'''[[肉体の門]]'''』公演。制作:[[深井俊彦]]。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:[[深井俊彦]]、振付:[[村田凡二郎]]、出演:[[ヒロミ原]]、[[右ノリ子]]、[[光陽子]]<ref name="#12594763886">[https://ameblo.jp/cobanobu/entry-12594763886.html cobanobuのブログ「肉体の門」]</ref>。。


==映画==
==映画==
19行目: 26行目:
マキノ雅弘監督。
マキノ雅弘監督。


空気座の演出をした小崎政房が製作。脚本も同じく小沢不二夫。俳優では田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦も空気座から。
[[空気座]]の演出をした小崎政房が製作。脚本も同じく小沢不二夫。俳優では田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦も[[空気座]]から。
===1964年版===
===1964年版===
鈴木清順監督。
[[鈴木清順]]監督。


===1977年版===
===1977年版===
西村昭五郎監督、にっかつロマンポルノ。
[[西村昭五郎]]監督、にっかつロマンポルノ。


===1988年版===
===1988年版===
30行目: 37行目:
==TV==
==TV==
2008年(平成20年)、TV朝日。観月ありさ。
2008年(平成20年)、TV朝日。観月ありさ。
 
==エピソード==
*[[濡木痴夢男]]が「[[空気座]]」の舞台を何度も観ていたようだ<ref>[[濡木痴夢男|藤見郁]]『'''ロマンチックなサディズム'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195407/01/031.html p36]</ref>。
==参考資料==
==参考資料==
<references/>
<references/>
37行目: 45行目:
==お役達web==
==お役達web==
*[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10441595501.html 映画における緊縛指導 〜番外編4〜 秦豊吉]
*[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10441595501.html 映画における緊縛指導 〜番外編4〜 秦豊吉]
 
*[https://www.youtube.com/watch?v=jq8wnJVsWcA#t=246 YouTube]
{{DEFAULTSORT:にくたいのもん}}
{{DEFAULTSORT:にくたいのもん}}
[[Category:SM殿堂]]
[[Category:SM周辺文化]]
[[Category:SM周辺文化]]
[[Category:映画]]
[[Category:総索引]]
[[Category:総索引]]

2020年5月6日 (水) 11:10時点における最新版

空気座」による「肉体の門」公演。『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)より

にくたいのもん。戦後パンパンの恋物語り。田村泰次郎の1947年作品。同年夏には帝都座にて「空気座」よる芝居。リンチシ場面が話題となり、50万人観客動員。映画作品も4つ(マキノ雅弘、鈴木清順西村昭五郎、五社英雄)。

概要

戦後まもなく話題となった田村泰次郎の小説。戦後有楽町のパンパン(売春婦)[注 1]の生活を描いた作品だが、その中の半裸リンチシーンが戦後SMファンの心に残っている。

原作小説

1947年(昭和22年)3月、田村泰次郎[注 2]が雑誌「群像」に発表。

あらすじ

第二次世界大戦直後、東京の焼けビルの地下室で集団生活をしている娼婦の物語。「客に恋をしない」という掟を破るボルネオ・マヤの物語。

舞台

1947年(昭和22年)8月1日-15日に帝都座五階劇場にて「空気座[注 3]により公演。仕掛け人は秦豊吉。脚本は小沢不二夫、演出は小崎政房[注 4]。1000ステージ、50万人程の観客を動員した。三條ひろみが扮した主人公の娼婦ボルネオ・マヤが受けるリンチシーンがSMファンを含む多くの人々の心を奪う。8月12日には観客が飛び降り自殺する事件も起こる[1]

1947年(昭和22年)12月、『肉体の門空気座北陸公演。

1948年(昭和23年)2月、『肉体の門空気座九州初公演。

1949年(昭和23年)1月、『続肉体の門空気座日劇小劇場公演。

1949年(昭和23年)3月、『続肉体の門空気座九州公演。

1964年(昭和39年)2月16日、道劇ミュージックホールにて『肉体の門』公演。制作:深井俊彦。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:深井俊彦、振付:村田凡二郎、出演:ヒロミ原右ノリ子光陽子[2]。。

映画

1948年版

マキノ雅弘監督。

空気座の演出をした小崎政房が製作。脚本も同じく小沢不二夫。俳優では田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦も空気座から。

1964年版

鈴木清順監督。

1977年版

西村昭五郎監督、にっかつロマンポルノ。

1988年版

五社英雄監督。出演はかたせ梨乃、名取裕子、山咲千里、松居一代。

TV

2008年(平成20年)、TV朝日。観月ありさ。

エピソード

参考資料

  1. 『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)
  2. cobanobuのブログ「肉体の門」
  3. 藤見郁ロマンチックなサディズム奇譚クラブ1954年(昭和29年)7月号, p36

注釈

  1. 15万人いたと言われている。
  2. たむら たいじろう。1911年(明治44年)-1983年(昭和58年)。三重県生まれで早稲田大学文学部卒。兵士として中国で敗戦を迎える。「肉体文学」作家として当時大人気。他に『肉体の悪魔』(1946)など。1967年に脳血栓で倒れてからほとんど活動していない。
  3. 1946年(昭和21年)、小崎政房を座長として結成。第1回公演は1946年10月。1949年3月には日劇小劇場で『獄門島』。1949年(昭和24年)には解散。主な団員は左卜全、田崎潤(=田中実)、春名薫、花村陽子、成瀬昌彦。
  4. 戦前、ムーランルージュ新宿座の脚本家として活動すると共に、大都映画では松山宗三郎の芸名で俳優として活躍。映画監督作品もある。

お役達web