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[[画像:kitanclub1955.jpg|250px|thumbnail|[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)10月号]]
[[画像:kitanclub1955.jpg|250px|thumbnail|[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)10月号の表紙。写真は[[濡木痴夢男]]の提供に由来。]]
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[[画像:kitanclub19606.jpg|150px|thumbnail|[[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)6月号の[[白表紙時代]]最後の表紙。]]
'''しらびょうし'''、'''しらびょうし時代'''
 
'''しらびょうし'''、'''しらびょうし時代'''。1955年(昭和30年)から1960年(昭和35年)までの白黒表紙時代を意味する[[奇譚クラブ]]マニアの専門用語。当局の弾圧が厳しい時代に相当。[[天星社]]時代。
==概要==
==概要==
1955年(昭和30年)10月号から1960年(昭和35年)5月号までの表紙画白黒印刷であった次期の[[奇譚クラブ]]を意味する、[[奇譚クラブ]]マニアの間の専門用語。
1955年(昭和30年)10月号から1960年(昭和35年)5月号までの表紙が白黒印刷であった約5年間を意味する[[奇譚クラブ]]マニアの間の専門用語。[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)5月号が摘発され、6月号〜9月号が休刊した後から始まり、当局の目を意識した目立たない表紙となっており、グラビア写真も大幅に減っている。出版元が[[曙書房]]から[[天星社]]に変わった時期に一致し、[[天星社]]時代の前半に相当する。[[白表紙時代]]最初の表紙は[[濡木痴夢男]]の提供によるもので、口絵の写真、本文の多くも[[濡木痴夢男]]の手による<ref>[[濡木痴夢男]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 '''「奇譚クラブ」の絵師たち''']』(河出書房新社, 2004)
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==歴史==
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1955年(昭和30年)3月25日、[[奇譚クラブ]]4月号が押収。容疑箇所は[[伊藤晴雨]]の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」<ref>『[[奇譚クラブ]]』1955年(昭和30年)10月号。</ref>。
 
1955年(昭和30年)4月28日、『'''四・二八いっせいとり締まり'''』で特価雑誌37種を摘発、35カ所を捜索して39人を検挙、26,664部を押収<ref name="kaikoroku">[[中田雅久]]『'''[[あまとりあ]]回顧録'''』in 藤本義一編『'''[http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=iq05-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=ss_til&asins=B000J8XBOU あまとりあ傑作選]'''』(東京スポーツ新聞社, 1977)</ref>。
 
1955年(昭和30年)10月、[[奇譚クラブ]]は『[[白表紙時代]]』に入る。1960年(昭和35年)まで。


1956年(昭和31年)7月、[[高橋鐵]]の『[[生心リポート]]』猥褻裁判が始まる<ref group="注">1963年(昭和38年)1月に第一審で有罪。第二審も有罪、1970年(昭和45年)9月に最高裁で有罪が確定。</ref>。


==エピソード==
==エピソード==
*[[天星社]]時代は、さらに1967年(昭和42年)まで続く。
==関連作品==
==関連作品==



2014年5月15日 (木) 08:47時点における最新版

奇譚クラブ1955年(昭和30年)10月号の表紙。写真は濡木痴夢男の提供に由来。
奇譚クラブ1960年(昭和35年)6月号の白表紙時代最後の表紙。

しらびょうししらびょうし時代。1955年(昭和30年)から1960年(昭和35年)までの白黒表紙時代を意味する奇譚クラブマニアの専門用語。当局の弾圧が厳しい時代に相当。天星社時代。

概要

1955年(昭和30年)10月号から1960年(昭和35年)5月号までの表紙が白黒印刷であった約5年間を意味する奇譚クラブマニアの間の専門用語。奇譚クラブ1955年(昭和30年)5月号が摘発され、6月号〜9月号が休刊した後から始まり、当局の目を意識した目立たない表紙となっており、グラビア写真も大幅に減っている。出版元が曙書房から天星社に変わった時期に一致し、天星社時代の前半に相当する。白表紙時代最初の表紙は濡木痴夢男の提供によるもので、口絵の写真、本文の多くも濡木痴夢男の手による[1]。当時の状況は「エロ法規制の歴史」を参照。

歴史

1954年(昭和29年)、風俗草紙2月号が摘発。奇譚クラブ3月号が摘発[注 1]風俗草紙4月号、奇譚クラブ4月号が摘発。6月号〜9月号、12月号〜1955年3月号が休刊。

1955年(昭和30年)3月25日、奇譚クラブ4月号が押収。容疑箇所は伊藤晴雨の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」[2]

1955年(昭和30年)4月28日、『四・二八いっせいとり締まり』で特価雑誌37種を摘発、35カ所を捜索して39人を検挙、26,664部を押収[3]

1955年(昭和30年)10月、奇譚クラブは『白表紙時代』に入る。1960年(昭和35年)まで。

1956年(昭和31年)7月、高橋鐵の『生心リポート』猥褻裁判が始まる[注 2]

エピソード

  • 天星社時代は、さらに1967年(昭和42年)まで続く。

関連作品

引用文献

  1. 濡木痴夢男「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
  2. 奇譚クラブ』1955年(昭和30年)10月号。
  3. 中田雅久あまとりあ回顧録』in 藤本義一編『あまとりあ傑作選』(東京スポーツ新聞社, 1977)

注釈

  1. 濡木痴夢男の『魔性の姉妹』が対象。
  2. 1963年(昭和38年)1月に第一審で有罪。第二審も有罪、1970年(昭和45年)9月に最高裁で有罪が確定。

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