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1858年(安政5年)、「'''守田座'''」と改名。
1858年(安政5年)、「'''守田座'''」と改名。


1872年(明治2年)3月、[[森田座|守田座]]で三世沢村田之助が河竹黙阿弥の[[怪談敷島譚]]を初演<ref>吉田弥生『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/483557947X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=483557947X&linkCode=as2&tag=iq05-22 江戸歌舞伎の残照]'''』(文芸社, 2004)</ref>。
1872年(明治2年)3月、[[森田座|守田座]]で三世[[沢村田之助]]が河竹黙阿弥の[[怪談敷島譚]]を初演<ref>吉田弥生『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/483557947X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=483557947X&linkCode=as2&tag=iq05-22 江戸歌舞伎の残照]'''』(文芸社, 2004)</ref>。


1872年(明治5年)、新富町に移転。
1872年(明治5年)、新富町に移転。

2014年3月24日 (月) 08:54時点における最新版

概要

1634年(寛永11年)に始まる古い芝居小屋。江戸三座のひとつ。

別名

守田座、新富座

所在地

歴史

1660年(万治3年)、森田太郎兵衛が木挽町五丁目に森田座を開座。

1734年(享保19年)、経営破綻で休座。

1744年(延享元年)、復活。

1790年(寛政2年)、経営破綻。

1797年(寛政7年)、復活。

1841年(天保12年)、天保の改革の一つとして浅草聖天町(現在の台東区浅草6丁目)に芝居小屋や芝居関係者を強制的に集める。聖天町は、芝居小屋の草分けである猿若勘三郎の名に因んで猿若町と改名。

1858年(安政5年)、「守田座」と改名。

1872年(明治2年)3月、守田座で三世沢村田之助が河竹黙阿弥の怪談敷島譚を初演[1]

1872年(明治5年)、新富町に移転。

1875年(明治8年)、「新富座」と改名。

1878年(明治11年)、ガス灯などを配備した近代劇場を新設。日本で初めて夜芝居興行。明治時代中期の演劇改良運動の場となった。

1910年(明治43年)、松竹が買収。

1923年(大正12年)、関東大震災で廃座。

エピソード

引用文献

  1. 吉田弥生『江戸歌舞伎の残照』(文芸社, 2004)

注釈

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