「中村歌扇」の版間の差分

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中村歌昇、青江久
中村歌昇、青江久
==略歴==
==略歴==
1900年(明治33年)、[[中村歌扇]]が中村歌昇として[[新富座]]で初舞台<ref name="seieki1">[[伊藤晴雨]]『'''[[非小説『性液』]]'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195402/086.html p160]</ref>。
1900年(明治33年)、[[中村歌扇]]が中村歌昇として[[新富座]]で初舞台。


1901年(明治34年)、[[中村歌扇]]と改名。
1901年(明治34年)、[[中村歌扇]]と改名。
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1916年(大正5年)、神田劇場の座頭。
1916年(大正5年)、神田劇場の座頭。
==エピソード==
==エピソード==
*連鎖劇で活動写真にも出演。
*連鎖劇で活動写真にも出演<ref name="gendainohito">河瀬蘇北『'''[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959082 現代之人物観無遠慮に申上候]'''』(二松堂書店, 1917), p355</ref>。
*六代目[[尾上菊五郎]]が「女形を習いたければ歌扇のところへ聞きに行きねいよ」と言った<ref name="seieki1">[[伊藤晴雨]]『'''[[非小説『性液』]]'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195402/150.html p163]</ref>。
 
==代表作==
==代表作==



2012年11月23日 (金) 18:24時点における最新版

なかむら かせん、1889年(明治22年)1月18日-1942年(昭和17年)

概要

明治時代の新派女優。

別名

中村歌昇、青江久

略歴

1900年(明治33年)、中村歌扇が中村歌昇として新富座で初舞台。

1901年(明治34年)、中村歌扇と改名。

1916年(大正5年)、神田劇場の座頭。

エピソード

  • 連鎖劇で活動写真にも出演[1]
  • 六代目尾上菊五郎が「女形を習いたければ歌扇のところへ聞きに行きねいよ」と言った[2]

代表作

引用文献

  1. 河瀬蘇北『現代之人物観無遠慮に申上候』(二松堂書店, 1917), p355
  2. 伊藤晴雨非小説『性液』奇譚クラブ1954年(昭和29年)2月号, p163

注釈


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