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大正から昭和にかけて神戸・大阪にあった出版社。「クラブ歯磨」で有名だった中山太陽堂(現クラブコスメチックス)が広告誌を出版する目的で設立したが、文芸雑誌『女性』『苦楽』を創刊するなど、「阪神間モダニズム」と呼ばれる文化の中心となっていった。1928年(昭和3年)に[[伊藤晴雨]]をモデルとした[[鈴木泉三郎]]『火あぶり』を発行している。 | |||
==歴史== | ==歴史== | ||
1924年(大正13年)、『'''苦楽'''』創刊。直木三十五、川口松太郎ら編集。[[岩田専太郎]] | 1903年(明治36年)、中山太一が中山太陽堂を創業。 | ||
1922年(大正11年)、中山太陽堂の化粧品宣伝誌を発行する目的で[[プラトン社]]を設立。小山豊三が代表。 | |||
1922年(大正11年)、『'''女性'''』創刊。編集人:小山内薫。 | |||
1924年(大正13年)、『'''苦楽'''』創刊。直木三十五、川口松太郎ら編集。[[岩田専太郎]]が挿絵<ref name="ex01">「'''粋美挿画 vol.2'''』(日本出版美術家連盟, 2011)</ref>。<ref group="注">おもな執筆者は、泉鏡花、大佛次郎、谷崎潤一郎、武者小路実篤、与謝野晶子ら</ref> | |||
1926年(大正15年)、『'''演劇・映画'''』創刊 | |||
1928年(昭和3年)2月、[[伊藤晴雨]]をモデルとした[[鈴木泉三郎]]の『'''火あぶり'''』発刊。 | 1928年(昭和3年)2月、[[伊藤晴雨]]をモデルとした[[鈴木泉三郎]]の『'''火あぶり'''』発刊。 | ||
1928年(昭和3年)、廃業。 | |||
==所在地== | ==所在地== | ||
大阪市東区谷町5丁目乙20番地(中央区谷町5丁目) | |||
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2011年6月8日 (水) 07:52時点における版
概説
大正から昭和にかけて神戸・大阪にあった出版社。「クラブ歯磨」で有名だった中山太陽堂(現クラブコスメチックス)が広告誌を出版する目的で設立したが、文芸雑誌『女性』『苦楽』を創刊するなど、「阪神間モダニズム」と呼ばれる文化の中心となっていった。1928年(昭和3年)に伊藤晴雨をモデルとした鈴木泉三郎『火あぶり』を発行している。
歴史
1903年(明治36年)、中山太一が中山太陽堂を創業。
1922年(大正11年)、中山太陽堂の化粧品宣伝誌を発行する目的でプラトン社を設立。小山豊三が代表。
1922年(大正11年)、『女性』創刊。編集人:小山内薫。
1924年(大正13年)、『苦楽』創刊。直木三十五、川口松太郎ら編集。岩田専太郎が挿絵[1]。[注 1]
1926年(大正15年)、『演劇・映画』創刊
1928年(昭和3年)2月、伊藤晴雨をモデルとした鈴木泉三郎の『火あぶり』発刊。
1928年(昭和3年)、廃業。
所在地
大阪市東区谷町5丁目乙20番地(中央区谷町5丁目)
代表的な雑誌・書籍
雑誌
- 『苦楽』(1924 -)
書籍
エピソード
引用文献
- ↑ 「粋美挿画 vol.2』(日本出版美術家連盟, 2011)
注釈
- ↑ おもな執筆者は、泉鏡花、大佛次郎、谷崎潤一郎、武者小路実篤、与謝野晶子ら