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==略歴==
==略歴==
1962年(昭和37年)、京都で『三人』という名の同人誌を発行し、切腹に関する小説や評論を発表<ref>[http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/59-417a.html 直木賞のすべて 余聞と余分]</ref>。
1962年(昭和37年)、京都で坂井薫(大寺佑昌)、加藤葵らと『'''三人'''』という名の同人誌を創刊し、切腹に関する小説や評論を発表<ref>[http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/59-417a.html 直木賞のすべて 余聞と余分]</ref>。
 
1994年(平成6年)11月頃、永眠。
 
1995年(平成7年)2月、[[S&Mスナイパー]]2月号で追悼特集。


==エピソード==
==エピソード==
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*[[中康弘通]]『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336022720/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4336022720&linkCode=as2&tag=iq05-22&l=as2&o=9&a=4336022720 切腹―悲愴美の世界]'''』(国書刊行会, 1987)
*[[中康弘通]]『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336022720/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4336022720&linkCode=as2&tag=iq05-22&l=as2&o=9&a=4336022720 切腹―悲愴美の世界]'''』(国書刊行会, 1987)
*[[中康弘通]]『'''切腹〈歴史と文芸〉'''』(三人会, 1979.2.3)
*[[中康弘通]]『'''切腹〈歴史と文芸〉'''』(三人会, 1979.2.3)
*[[中康弘通]]『'''切腹〈昭和篇〉'''』(三人会, 1979.8.15)
*[[中康弘通]]『'''[[切腹]] 夜話篇'''』(三人会, 1979.10.10)(挿絵:[[江戸川重郎]])
*[[中康弘通]]『'''切腹〈夜話篇〉'''』(三人会, 1979.10.10)
*[[中康弘通]]『'''女人哀詩 昭和篇'''』(三人会, 1979.8.15)(挿絵:[[江戸川重郎]])
*[[中康弘通]]『'''女人哀詩 歴史篇'''』(三人会, 1979)(挿絵:[[江戸川重郎]])


===雑誌===
===雑誌===
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*[[中康弘通]]『'''史実研究 ”切腹百年史"<女性篇>'''』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)1月号, p122
*[[中康弘通]]『'''史実研究 ”切腹百年史"<女性篇>'''』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)1月号, p122
*[[中康弘通]]『'''史実研究 ”切腹百年史"<女性篇>'''』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)1月号, p59
*[[中康弘通]]『'''史実研究 ”切腹百年史"<女性篇>'''』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)1月号, p59
*[[中康弘通]]『'''宇能鴻一郎作品試論'''』[[あぶめんと]]1970年(昭和45年)4月創刊号, p11
*[[中康弘通]]『'''切腹百年史'''』[[奇譚クラブ]]1971年(昭和46年)1月号


== 引用文献==
== 引用文献==

2023年2月9日 (木) 07:58時点における最新版

せい めい、19??年(昭和??年)-

概要

文筆家。1950年代前半から1970年代まで、奇譚クラブ切腹にこだわった作品を多く残し、三島由紀夫にも影響を与えたと言われている。

別名

english

略歴

1962年(昭和37年)、京都で坂井薫(大寺佑昌)、加藤葵らと『三人』という名の同人誌を創刊し、切腹に関する小説や評論を発表[1]

1994年(平成6年)11月頃、永眠。

1995年(平成7年)2月、S&Mスナイパー2月号で追悼特集。

エピソード

  • 京都に住んでいた。
  • 三島由紀夫切腹の作法を教えたというのが通説となっている。

代表作

書籍

雑誌

引用文献

注釈


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切腹