「家畜人ヤプー」の版間の差分

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[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載され10ヶ月中断の後に1959年(昭和34年)2月に再開されるも五ヶ月で再度中絶した<ref name'ryunosu'>[http://ryunosumika.blog.fc2.com/blog-entry-13.html 龍之巣:家畜人ヤプー掲載号のまとめ]参照</ref>[[沼正三]]の小説。[[三島由紀夫]]を始め、[[渋沢龍彦]]、[[寺山修司]]らの評価を受け、[[奇譚クラブ]]にユニークな評価を与える一要因となった。後に[[奇譚クラブ]]に掲載されなかった章などを加筆改訂したものが各社から文庫本が登場、漫画化や舞台化などもされたが映画化には至っていない。
[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載され10ヶ月中断の後に1959年(昭和34年)2月に再開されるも五ヶ月で再度中絶した<ref name'ryunosu'>[http://ryunosumika.blog.fc2.com/blog-entry-13.html 龍之巣:家畜人ヤプー掲載号のまとめ]参照</ref>[[沼正三]]の小説。[[三島由紀夫]]を始め、[[渋沢龍彦]]、[[寺山修司]]らの評価を受け、[[奇譚クラブ]]にユニークな評価を与える一要因となった。後に[[奇譚クラブ]]に掲載されなかった章などを加筆改訂したものが各社から文庫本が登場、漫画化や舞台化などもされたが映画化には至っていない。
==歴史==
==歴史==
1956年(昭和31年)、[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)12月号から連載開始。
1956年(昭和31年)、[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)12月号 [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195612/121.html p124]から連載開始。


1959年(昭和34年)、[[奇譚クラブ]]1959年(昭和34年)9月号、第20回第27章で中断。
1959年(昭和34年)、[[奇譚クラブ]]1959年(昭和34年)6月号、[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195906/01/077.html p80]。第21回第28章で中断。
 
1959年(昭和34年)、[[奇譚クラブ]]1959年(昭和34年)9月号、[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195909/113.html p116]に「中絶お詫びのご挨拶」。


1970年(昭和45年)2月、[[都市出版社]]から単行本『'''[[家畜人ヤプー]]'''』が出版。
1970年(昭和45年)2月、[[都市出版社]]から単行本『'''[[家畜人ヤプー]]'''』が出版。

2019年5月23日 (木) 17:51時点における版

家畜人ヤプー挿絵 奇譚クラブ 1958年(昭和33年)4月号より

概要

奇譚クラブ1956年(昭和31年)12月号から1958年(昭和33年)4月号まで連載され10ヶ月中断の後に1959年(昭和34年)2月に再開されるも五ヶ月で再度中絶した[1]沼正三の小説。三島由紀夫を始め、渋沢龍彦寺山修司らの評価を受け、奇譚クラブにユニークな評価を与える一要因となった。後に奇譚クラブに掲載されなかった章などを加筆改訂したものが各社から文庫本が登場、漫画化や舞台化などもされたが映画化には至っていない。

歴史

1956年(昭和31年)、奇譚クラブ1956年(昭和31年)12月号 p124から連載開始。

1959年(昭和34年)、奇譚クラブ1959年(昭和34年)6月号、p80。第21回第28章で中断。

1959年(昭和34年)、奇譚クラブ1959年(昭和34年)9月号、p116に「中絶お詫びのご挨拶」。

1970年(昭和45年)2月、都市出版社から単行本『家畜人ヤプー』が出版。

1991年(平成3年)、ゴールドにて完結記念パーティー。

2014年(平成26年)12月、沼正三家畜人ヤプー』の映画化製作委員会をスタート。康芳夫が中心で、熊切和嘉が監督予定。

2015年(平成27年)10月30日-11月1日、月蝕歌劇団創立30周年記念連続講演第三弾『家畜人ヤプー』がザムザ阿佐ヶ谷で公演。脚本・演出: 高取英 / 音楽: J・A・シーザー。出演:倉敷あみ、柊一華など。

エピソード

  • 三島由紀夫は『潮』1970年(昭和45年)7月号で「戦後の日本人が書いた観念小説としては絶頂だろう」と絶賛している。

関連書籍

引用文献

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注釈