「奈加あきら」の版間の差分

提供:SMpedia
9行目: 9行目:


==略歴==
==略歴==
1990年代、[[濡木痴夢男]]主催「緊縛美研究会」に出会う<ref group="注">「30有余歳頃、麻縄緊縛の第一人者[[濡木痴夢男]]氏主催の「緊縛美研究会」(通称「[[緊美研]]」)と出会う。そこで初めて麻縄緊縛なるものを知り、就中、氏の麻縄緊縛を眼前にした時、「これだ!」と強烈な触発を得、その官能に魅了され、かくして一気に斯会の人となる。以来、氏を師と仰ぎ「濡木流」を継承するとともに、そこに一層緊密・緻密な縄掛け・縛りで、独自な「奈加流」ともいうべき緊縛美・責め縄官能美の境地を確立した。」(本人ブログのプロフィールより)</ref>。
1990年代、[[濡木痴夢男]]主催「[[緊美研|緊縛美研究会]]」に出会う<ref group="注">「30有余歳頃、麻縄緊縛の第一人者[[濡木痴夢男]]氏主催の「緊縛美研究会」(通称「[[緊美研]]」)と出会う。そこで初めて麻縄緊縛なるものを知り、就中、氏の麻縄緊縛を眼前にした時、「これだ!」と強烈な触発を得、その官能に魅了され、かくして一気に斯会の人となる。以来、氏を師と仰ぎ「濡木流」を継承するとともに、そこに一層緊密・緻密な縄掛け・縛りで、独自な「奈加流」ともいうべき緊縛美・責め縄官能美の境地を確立した。」(本人ブログのプロフィールより)</ref>。


2005年(平成17年)、心筋梗塞で入院<ref name="blog">自身のブログ</ref>。
2005年(平成17年)、心筋梗塞で入院<ref name="blog">自身のブログ</ref>。

2010年2月25日 (木) 07:52時点における版

奈加あきら (1959- )

なか あきら、1959年(昭和34年)-

活動内容

緊縛師。

別名

Akira Naka

略歴

1990年代、濡木痴夢男主催「緊縛美研究会」に出会う[注 1]

2005年(平成17年)、心筋梗塞で入院[1]

2008年(平成20年)、夢流ZOUと組んで「夢流想倶楽部・奈加あきら緊縛同好会」を設立。

2009年(平成21年)、Mr. Mと共に池袋にSM作品撮影用のAmadas STUDIOをプロデュース[注 2]

2010年(平成22年)、愛染恭子引退作品である団鬼六原作『奴隷船』(金田敬監督, 新東宝, 2010)に出演、及び緊縛指導。

エピソード

  • 「奈加あきら」という名前は、濡木痴夢男が命名した[2]
  • シネマジックレーベルに作品多数(川村組、東雲組、光岡組など)。大洋図書(渡辺組)。溜池ゴロー(溜池組)。ドグマレーベルではTOHJIRO監督と、アタッカーズで監督作品、アートレーベルでは夢流ZOUと「縄悦」シリーズ等を制作(本人ブログより)。
  • 杉浦則夫の会員制サイト「杉浦則夫緊縛桟敷」でメインの緊縛師。
  • 池袋のSM撮影スタジオ「Amadas Studio」をプロデュース。

代表作

参考資料

  1. 自身のブログ
  2. 『日本緊縛師列伝』(三和出版, 2000)

注釈

  1. 「30有余歳頃、麻縄緊縛の第一人者濡木痴夢男氏主催の「緊縛美研究会」(通称「緊美研」)と出会う。そこで初めて麻縄緊縛なるものを知り、就中、氏の麻縄緊縛を眼前にした時、「これだ!」と強烈な触発を得、その官能に魅了され、かくして一気に斯会の人となる。以来、氏を師と仰ぎ「濡木流」を継承するとともに、そこに一層緊密・緻密な縄掛け・縛りで、独自な「奈加流」ともいうべき緊縛美・責め縄官能美の境地を確立した。」(本人ブログのプロフィールより)
  2. AmadasのHPより。東京都豊島区東池袋 1-37-1 ホテルパラオB1F
  3. デジタル化初の監督作品(自身のブログより) 。

お役たちweb