「天堂寺慎」の版間の差分

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画像:Tendoujishin04.jpg|'''[[SMファン]]''' 1972年(昭和47年)4月号の[[松本孝]]『'''偽りの飼育'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin04.jpg|'''[[SMファン]]''' 1972年(昭和47年)4月号の[[松本孝]]『'''偽りの飼育'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin11.jpg|'''[[別冊SMファン]]''' 1972年(昭和47年)8月創刊号の[[道成祐]]『'''青い奴隷たち'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin11.jpg|'''[[別冊SMファン]]''' 1972年(昭和47年)8月創刊号の[[道成祐]]『'''青い奴隷たち'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin13.jpg|'''[[増刊SMファン]]''' 1973年(昭和48年)4月号 [[天堂寺慎]]『'''因果弁天'''』。
画像:Tendoujishin13.png|'''[[増刊SMファン]]''' 1973年(昭和48年)4月号 [[天堂寺慎]]『'''因果弁天'''』。
画像:Tendoujishin10.jpg|'''[[SMキング]]''' 1973年(昭和48年)5月号の[[柳恭介]]『'''淫獣の群れ'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin10.jpg|'''[[SMキング]]''' 1973年(昭和48年)5月号の[[柳恭介]]『'''淫獣の群れ'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin05.jpg|'''[[SMキング]]''' 1973年(昭和48年)8月号の[[安芸蒼太郎]]『'''黒き縛淫の館'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]
画像:Tendoujishin05.jpg|'''[[SMキング]]''' 1973年(昭和48年)8月号の[[安芸蒼太郎]]『'''黒き縛淫の館'''』。挿絵: [[天堂寺慎]]

2023年1月29日 (日) 11:40時点における版

ワイルドセレクト 1972年(昭和47年)9月号の松本孝紅蜂集団』の 天堂寺慎による挿絵。
SMキング 1973年(昭和48年)5月号の柳恭介淫獣の群れ』の 天堂寺慎による挿絵。

てんどうじ まこと、しん、1970年代-80年代にSMセレクトS&MコレクターSMファン別冊SMファンSMキングSMクラブS&Mフロンティア SMフェニックスSMスパイダーなどに挿絵。男色系も。

概要

SMセレクトS&MコレクターSMファン別冊SMファンSMキングSMクラブS&Mフロンティア SMフェニックスSMスパイダーなどの挿絵。

別名

豊田みのる[1]

略歴

1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロサン出版の企画による箱根での慰労会[2]。出席者は団鬼六美濃村晃堂昌一小日向一夢千草忠夫安芸蒼太郎小妻容子前田寿安沖渉二古正英生東桂史中島喜美織裳雪夫松井籟子蘭光生天堂寺慎山田彬弘曽我部泰佐藤重臣ネコ、マリ。

エピソード

  • 早川佳克が中学2年頃の思い出(1963頃)として「クラブ雑誌の中にショッキングな挿し絵」「信康は身籠もった側室に不義密通の疑いを抱き逆さ吊りにして責め嬲る」「その後、奇縁をもたらすことになる。というのもその絵を書いていたのは、ひところSM雑誌でも常連の挿し絵画家だった天堂寺慎さんで、そのご本人と私自身が、初めて拘わったSM雑誌の編集者としてお会いする」と書いている[3]

代表作

作品のいくつか

引用文献

注釈


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つながり