「増永善吉」の版間の差分

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==エピソード==
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*[[増永善吉]]がシューベルト好きだったために、『[[鱒書房]]』という名がつけられた<ref name="hanada"></ref>。
*[[増永善吉]]がシューベルト好きだったために、『[[鱒書房]]』という名がつけられた<ref name="hanada"></ref>。
*[[菊池寛]]の文藝春秋社と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada"></ref>。
==代表作==
==代表作==



2011年9月20日 (火) 11:56時点における版

ますなが ぜんきち、1908年(明治41年)12月30日ー1967年(昭和42年)9月13日

概要

戦前戦後に活躍した出版人。戦前に設立した鱒書房は戦後に『旋風二十年』でヒットを飛ばし、1949年(昭和24年)には、友人の菊池寛から譲り受けた『』を『夫婦生活』と改題し、夫婦雑誌ブームを起こす。

別名

english

略歴

1908年(明治41年)12月30日、北海道に生まれる

レコード店を経営。

1939年(昭和14年)、鱒書房を創立。『ノロ高地』がヒット。

1945年(昭和20年)8月8日、戦時中休業していた鱒書房の活動再開。

1945年(昭和20年)12月、森正蔵『旋風二十年』発行。翌年の下巻と合わせて80万冊[注 1]を出す大ヒット[注 2][1]

1948年(昭和23年)、菊池寛から『』の出版権を譲り受ける。第1号「五大作家恋愛小説特集」は売れなかったが、第2号「恋愛サロン」、第3号「美人画報」、第4号「夫婦の性典」、第5号「夫婦の性典」と路線変更するにつれて人気を集める[2][1]

1949年(昭和24年)6月、『』を『夫婦生活』と改題。

1967年(昭和42年)9月13日、永眠。

エピソード

代表作

引用文献

注釈

  1. 50万との記載もあり。
  2. 誠文堂新光社の小川菊松『日米会話手帳』と共に戦後まもない二大ベストセラー。

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