「塚本鉄三」の版間の差分

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'''つかもと てつぞう''' (生年不明)
[[画像:TetsuzoTsukamoto.jpg|250px|thumbnail|[[塚本鉄三]]「渓流に縛られて」[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)11月号]]
[[奇譚クラブ]]で活躍した写真家。
'''つかもと てつぞう'''、(生年不明)。1950年代から奇譚クラブと共に活動した緊縛師・写真家。1953年に出版された『美しき縛しめ』(曙書房)の写真を担当している。「カメラ・ルポルタージュ」「S研レポート」などの多くの連載を執筆。
 
==概要==
==活動内容==
写真家。緊縛師。[[奇譚クラブ]]の初期の段階から1975年(昭和55年)3月号の週刊号まで作品と発表し続けた。
写真家。緊縛師。[[奇譚クラブ]]の初期の段階から1975年(昭和55年)3月号の週刊号まで作品と発表し続けた。


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*お気に入りのモデルは[[奇譚クラブのモデル達|関谷富佐子]]<ref name="sekiya">[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197007/197007_039.html p233]</ref>。
*お気に入りのモデルは[[奇譚クラブのモデル達|関谷富佐子]]<ref name="sekiya">[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197007/197007_039.html p233]</ref>。
*[[四馬孝]]と仲が良く、同じモデルを塚本が写真撮影、四馬がデッサンしていた<ref name="sekiya"></ref>。
*[[四馬孝]]と仲が良く、同じモデルを塚本が写真撮影、四馬がデッサンしていた<ref name="sekiya"></ref>。
*「[[箕田京二]](おそらく[[吉田稔]])氏が[[塚本鉄三]]というペンネームで(奇譚クラブに)カメラハント記事を書く時」という記述が[[ロマン派生]]『毛皮と女と繩』<ref>[[秘・桃源境]]1983年11月号に再録</ref>にある。


==代表作==
==代表作==
*[[塚本鉄三]]・[[喜多玲子]]『'''縛った女を描く'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195301/01/006.html グラビア]
*[[塚本鉄三]]・[[喜多玲子]]『'''縛った女を描く'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195301/007.html グラビア]
*[[辻村隆]]・[[塚本鉄三]]『'''後手と高手小手による緊縛美の考察'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195304/01/006.html グラビア]
*[[辻村隆]]・[[塚本鉄三]]『'''後手と高手小手による緊縛美の考察'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195304/01/006.html グラビア]
*[[辻村隆]]・[[塚本鉄三]]『'''荒縄による緊縛感のスポット'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/02/106.html グラビア]
*[[辻村隆]]・[[塚本鉄三]]『'''荒縄による緊縛感のスポット'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/02/106.html グラビア]
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*1970年12月の別冊奇譚クラブ「女体緊縛の醍醐味を語る」
*1970年12月の別冊奇譚クラブ「女体緊縛の醍醐味を語る」
===緊縛フオトの実際===
===緊縛フオトの実際===
''モデルに[[梨花悠紀子]]を使った。''
*[[塚本鉄三]]『緊縛フォト撮影の実際』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196106/03/199.html p205] (モデル:[[梨花悠紀子]])
*[[塚本鉄三]]『緊縛フォト撮影の実際』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196106/03/199.html p205]  
*[[塚本鉄三]]『緊縛フォト撮影の実際:亀甲縛りの一例』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196108/196108_021.html 口絵] (モデル:[[梨花悠紀子]])
*[[塚本鉄三]]『緊縛フォト撮影の実際:亀甲縛りの一例』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196108/196108_021.html 口絵]  
*[[塚本鉄三]]『緊縛フォト撮影の実際:高手小手縛りの一例』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196109/196109_036.html 口絵] (モデル:[[梨花悠紀子]])
*[[塚本鉄三]]『緊縛フォト撮影の実際:高手小手縛りの一例』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196109/196109_036.html 口絵]
*[[塚本鉄三]]『緊縛フオト撮影の実際 若奥様の脱虐ムード』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196111/196111041.html p107] (モデル:[[梨花悠紀子]])
*[[塚本鉄三]]『緊縛フオト撮影の実際 若奥様の脱虐ムード』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)11月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196111/196111041.html p107]
*[[塚本鉄三]]『'''緊縛フオト撮影の実際 首縄と[[後手高手小手|後手]]縛り'''』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196204/01/030.html グラビア] (モデル:[[梨花悠紀子]])
*[[塚本鉄三]]『緊縛フオト撮影の実際 首縄と後手縛り』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196204/196204_016.html 口絵]
*[[塚本鉄三]]『緊縛フオト撮影の実際 モデルと読者の便り』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196207/196207_032.html p168] (モデル:[[梨花悠紀子]])
*[[塚本鉄三]]『緊縛フオト撮影の実際 モデルと読者の便り』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196207/196207_032.html p168]
*[[塚本鉄三]]『'''[[緊縛フォト撮影の実際]] 若妻をモデルとした構成'''』[[奇譚クラブ]]1962年(昭和37年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196212/045.html p48] (モデル:[[関谷富佐子]])
*[[塚本鉄三]]『'''[[緊縛フォト撮影の実際]] 笞打ちに悶える媚態'''』[[奇譚クラブ]]1963年(昭和38年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196301/141.html p144] (モデル:[[関谷富佐子]])
*[[塚本鉄三]]『'''[[緊縛フォト撮影の実際]] 関谷夫人緊縛日記'''』[[奇譚クラブ]]1963年(昭和38年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196302/162.html p166] (モデル:[[関谷富佐子]])
*[[塚本鉄三]]『'''[[緊縛フォト撮影の実際]] 芦屋マダムか白百合夫人か'''』[[奇譚クラブ]]1963年(昭和38年)3月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196303/167.html p170] (モデル:[[関谷富佐子]])


===カメラ・ルポルタージュ===
===カメラ・ルポルタージュ===
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塚本鉄三「渓流に縛られて」奇譚クラブ1953年(昭和28年)11月号

つかもと てつぞう、(生年不明)。1950年代から奇譚クラブと共に活動した緊縛師・写真家。1953年に出版された『美しき縛しめ』(曙書房)の写真を担当している。「カメラ・ルポルタージュ」「S研レポート」などの多くの連載を執筆。

概要

写真家。緊縛師。奇譚クラブの初期の段階から1975年(昭和55年)3月号の週刊号まで作品と発表し続けた。

別名

Tetsuzo Tsukamoto

略歴

1950年(昭和25年)頃 緊縛写真を撮影開始。

1953年(昭和28年)12月、『美しき縛しめ』(曙書房)での撮影担当。緊縛は須磨利之(第一集)、辻村隆(第二集)

1963年(昭和38年)10月、奇譚クラブ臨時増刊号として『文献』を出版。

1970年(昭和45年)、奇譚クラブ10月号から「カメラ・ルポ」シリーズ。

1975年(昭和55年)、『カメラとペンのSMルポルタージュ」

エピソード

  • 大阪南のDストリップ劇場でストリッパーたちの宣伝スチール写真を撮っていた。新聞社の記者だったという記述も[1]
  • 浦戸宏が「塚本は縞の縄をよく使っていたが、これは鞄の芯の縄であった」と説明[2]
  • お気に入りのモデルは関谷富佐子[3]
  • 四馬孝と仲が良く、同じモデルを塚本が写真撮影、四馬がデッサンしていた[3]
  • 箕田京二(おそらく吉田稔)氏が塚本鉄三というペンネームで(奇譚クラブに)カメラハント記事を書く時」という記述がロマン派生『毛皮と女と繩』[4]にある。

代表作

  • 1970年12月の別冊奇譚クラブ「女体緊縛の醍醐味を語る」

緊縛フオトの実際

カメラ・ルポルタージュ

[カメラ]と[ペン]のSMルポルタージュ

S研レポート

引用文献

  1. 北原童夢早乙女宏美『「奇譚クラブ」の人々』(河出書房新社, 2003)
  2. SUN&MOON1978年(昭和53年)8,9月号
  3. 3.0 3.1 奇譚クラブ1970年(昭和45年)7月号, p233
  4. 秘・桃源境1983年11月号に再録

注釈


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