内藤忠司

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概要

別名

略歴

1952年(昭和27年)2月13日、高知県に生まれる[1]

1974年(昭和49年)、千葉大学人文学部卒[1]

1975年(昭和50年)、大学の担当教官より西河健治監督を紹介され、フリー助監督に。TV映画など。

1977年(昭和52年)、黒木和雄監督「原子力戦争」助監督。

1981年(昭和56年)、大林宣彦監督の助監督。1986年まで9本。

1985年(昭和60年)、「さびしんぼう」共同脚本でアルジェリア映画祭脚本賞。

1987年(昭和62年)、ロマンポルノの脚本を2本

1987年(昭和62年)、現映社からAV作品の監督初作品。

1987年(昭和62年)、『桃尻ハードラブ 絶頂志願』の脚本でフィルムキッズに参加[2]

1988年(昭和63年)、「悶絶!!処女の泉」で監督デビュー。

1998年(平成10年)、『奴隷契約書 牝犬たちのオークション』がフィルムキッズでの最後の作品。

エピソード

  • 雪村春樹フィルムキッズ時代からの付き合い[2]
  • 『飼育』『叔母 魔性の血淫』では「現場に就いて頂く程のギャラをお支払出来なかったので、各シチュエーションに合わせた縛り方を小夜伽さんをモデルにして指導して頂き、それを助監督が覚えて現場で縛るというやり方で」の緊縛指導[2]
  • 自らも緊縛をたしなみ、「桃太郎映像出版で着物緊縛物をシリーズで撮ったり、友人監督のピンク映画、Vシネ、AVに緊縛で呼ばれたり」していた[2]
  • VIPののAVは2、3本、フィルムキッズで撮っている[2]
  • サンセットカラー安曇野まりで2本撮る事になり」「天津さんが「素敵な~」を撮り、次に私が「放課後キッス」を撮った」[2]

雪村春樹との関連作品

代表作

劇場用映画

オリジナルビデオ

AV

脚本

  • 桃尻ハードラブ 絶頂志願 (1987) 製作:フィルムキッズ、脚本:内藤忠司、監督:堀内靖博、助監督:秋山豊
  • 「四月の魚/ポワソン・ダブリル」(監督・大林宜彦 共同脚本・大林宣彦、ジェームス三木)ジョイパック・フィルム、アミューズシネマソティ、PSC、オフィス・インテンツォ、日本コロムビア
  • 「さびしんぼう」(監督・大林宣彦 共同脚本・剣持亘、大林宣彦)東宝映画、アミューズシネマシティ

1997

引用文献

  1. 1.0 1.1 日本映画監督協会
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 内藤忠司 私信 to U, 2021.4.14

注釈

  1. 「不毛な制服 恥づかしい半熟」の改題で2008年再公開。

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