残酷ショー
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概要
1960年代にブームとなった、ストリップ、小演劇のジャンル。ローズ秋山、忍妙子など。
別名
残酷ショウ、地獄絵ショー、獄図絵ショー、地獄図絵ショー、残酷劇
主な出来事
1960年(昭和35年)、浅草で「残酷ショー」の『花嫁と山男』の公演[1]。
1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)すぎに「残酷ショー」が流行る。ロベルト秋山(=ローズ秋山?)、伊藤残酷ショー(=伊藤一夫?)。鉄の五郎ショーとか次々現れた[2]。
1965年(昭和40年)頃、深井俊彦が「残酷ショー」を始める。全盛期は30組ほど存在[3]。
1968年(昭和43年)、奇譚クラブ1968年(昭和43年)7月号の「最近の縛り演劇・映画から」で忍妙子の「地獄絵ショー」の紹介。
1969年(昭和44年)、奇譚クラブ6月号, p123に「地獄図絵ショー見聞録」で十三木川劇場でロングラン中の「関五郎と忍耐子『地獄図絵ショー』」の紹介。忍耐子は誤植か?
1969年(昭和44年)、奇譚クラブ8月号に忍妙子一座の「血塗られた墓標」(於カジバシ座、1969頃)[4]。
1970年(昭和45年)、奇譚クラブ1月号, p242に「『残酷ショー』見学記」
1970年(昭和45年)、奇譚クラブ9月号, p207に『残酷 地獄絵ショー』、忍妙子のモダンアートでの公演の様子。