立花冷子
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たちばな れいこ、1943年(昭和18年)頃[注 1]-。または、 1951年(昭和26年)頃[注 2] - 。 大阪から清水市に移ったSMサークル「美芸会」において、1970年代後半から看板女王として活躍。1980年頃には東京に進出して女王様ビデオ作製。
概要
女王様。松田富治男が1966年(昭和41年)9月に大阪で設立した美芸会は、1971年(昭和46年)に静岡県清水市に移る。ここらあたりから、立花玲子が女王様として中核メンバーとなる。その後、1980年頃に東京に進出し、女王様ビデオの制作を始める。女王様サークル、女王様ビデオ共に、それらの極めて初期の活動である。
別名
略歴
1970年代後半、松田富治男が1966年(昭和41年)に大坂で設立した美芸会が静岡県清水市に移り、この頃には立花冷子が看板女王となる。
1975年(昭和50年)6月、SMファンタジア6月号に立花冷子『立花冷子調教日誌より』連載開始。
1979年(昭和54年)、SMファン11月増刊号『SMプレイ情報』に「SMの女王 立花冷子」の特集記事。
1980年(昭和55年)頃、美芸会は東京に進出。ビデオ制作を始める。
1980年(昭和55年)5月、SMフェニックス5月創刊号から調教手記を連載。
1982年(昭和57年)、別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)4月号に「立花冷子V.T.R.ついに登場」「第1弾S女シリーズ 立花冷子調教日誌より 奴隷の契り」の広告。連絡先は美芸会放映事業部(豊島区)となっている。同広告には「レスビアン特別分譲写真」の案内が「立花プロモート」(新宿区西新宿7-14-2)から。
エピソード
代表作
ビデオ
- 『SMの女王・立花令子のマゾ男調教』(美芸会, 1982)(30分。30,000円)[1]
- 『陽子の秘密』(美芸会, 1982)(出演:鈴木陽子。30分。15,000円)[1]
- 『私の女王様』(美芸会, 1982)(30分。23,000円)[1]
- 『立花沙織の好奇心』(美芸会, 1982.6.25)(出演:立花沙織、立花令子。60分。25,000円)[1]
- 『女王様のムチ遊び』
- 『疑惑のM男』
- 『女が女を責める時』(出演:立花玲子、藤さとみ)
- 『マゾ男地獄責め』
- 『マゾ女夢ごこち』(美芸会, 1984頃)
- 『変態撮りっぱなし』(美芸会, 1984頃)(出演:鈴木陽子)
- 『陽子の秘密 妊婦編』(美芸会, 1984頃)(出演:鈴木陽子)
- 『森に戯れて』(美芸会, 1984頃)(出演:藤さとみ)
- 『師匠はサド』(美芸会, 1984頃)(出演:立花玲子、藤さとみ)
記事
- 『女王・立花冷子の華麗なる生活』SMファンタジア1975年(昭和50年)7月号
- 『M志望の若い男性(最終回)』SMファンタジア1975年(昭和50年)9月終刊号
- 『女王・立花冷子の凄艶なまなざし、異端の性~立花冷子(美芸会)のM奴隷調教日記』JOY magazine1976年(昭和51年)12月号
- 『立花冷子調教日誌4 オス豚調教 その3』SMフェニックス1980年(昭和55年)8月号
- 『立花冷子調教日誌5 番外篇 女王讃歌』SMフェニックス1980年(昭和55年)9月号
- 『Sの女王立花冷子調教日誌8 若鮎調教メモ3』SMフェニックス1980年(昭和55年)12月号
- 『Sの女王 立花冷子調教日誌11』SMフェニックス1981年(昭和56年)3月号
- 『女王様・立花冷子のスレイブ・ハンター』別冊S&Mスナイパー1982年(昭和57年)9月号
- 『藤サトミ&立花冷子 女が女を責める!』別冊SMファン1983年(昭和58年)5月号
- 相沢浩平『SMビデオ特選PART-4 女が女を責める時』ビーナス1980年代