SMショーの歴史
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歴史
1953年(昭和28年)6月4日、伊藤晴雨が市川市鈴木演芸場で「責めの劇団」の第1回公演[注 1]。7月11日文京区東片町中村座で第2回公演[注 2][注 3]。
1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)すぎに「残酷ショー」が流行る。ロベルト秋山(=ローズ秋山?)、伊藤残酷ショー(=伊藤一夫?)。鉄の五郎ショーとか次々現れた[1]。
1965年(昭和40年)頃、深井が「残酷ショー」を始める。全盛期は30組ほど存在[2]。
1968年(昭和43年)、奇譚クラブ7月号の「最近の縛り演劇・映画から」で忍妙子の「地獄絵ショー」が紹介。
1973年(昭和48年)頃、浅草フランス座でも前衛舞踏系の踊りやSM系のショーがおこなわれる[3]。
1978年(昭和53年)頃、道頓堀劇場の制作部長だった志賀直樹がみのわひろおを通じて長田英吉を説得し、SMショーが始まる[注 4][1]。
1978年(昭和53年)11月1日、玉井敬友のシアタースキャンダルが「春風座」でSMショー。
1985年(昭和60年)、池袋のスカイ劇場サヨナラ特別公演で「根暗童子夫妻のSMショー」[4]。
2003年(平成15年)11月1日、ショーアップ大宮にて川上譲治企画による『ザ・SM』シリーズが始まる。
2005年(平成17年)3月11日−20日、DX歌舞伎町にて『スーパーDX SM伝説 誕生篇』。
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 みのわひろお『日本ストリップ50年史』(三一書房, 1999)
- ↑ 佐山淳『外人関西ヌードショウ』新劇、1973年(昭和48年)9月号
- ↑ ビートたけし『浅草キッド』(新潮社, 1992)
- ↑ FOCUS, 1985(昭和60)年9/6号