村山知義
むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日
概要
日本の小説家、画家、演出家。「意識的構成主義」を標榜。
別名
略歴
1922年(大正11年)、ベルリンに遊学[1]
1923年(大正12年)、帰国[1]。
1923年(大正12年)、1913年(大正2年)に、ドイツの文化史家・美術収集家のEduard Fuchsが、文献資料的な 『"Die Weiberherrschaft in der Geschichte der Menschheit (人類史における女性支配)" 』全二巻を出版している(→ デジタルアーカイブ)。この主に第1巻を邦訳したのが、1926年(大正15年)に村山知義が国際文献刊行会から『世界奇書異聞類聚』の第十一巻として発刊した『女天下 (世界奇書異聞類聚十一巻)』である。内扉には『フックス キンド 共著』とあり、緒言に「伯林(ベルリン)の或るきたない猶太人(ユダヤ人)の古本屋の棚で私は二冊揃ひのよごれた緑色の大型の本をみつけた。」「著者はと見れば既に私にもお馴染みのエドアル・フックスがアルフレッド・キンドとの共著である。」とある(括弧内はUが追加)。1913年(大正2年)の『"Die Weiberherrschaft in der Geschichte der Menschheit (人類史における女性支配)" 』の二冊本の時点で、すでにフックスとキンドの共著だったのかもしれない。
エピソード
- プロレタリア・アヴァンギャルド芸術の促進者[2]
- 「村山知義の演出で新協劇団の公演をみせて貰った時も、異材北林谷栄君のヴェンドラが、叢につッ伏して打たれながら臀を波のようにうねらせてマゾヒズムの蠢きを見せる演技には異常な興窟を感じさせられ」(『異常性愛36相の分析』-『あまとりあ選書』第二集 in EROTICA 1972年(昭和47年)6月臨時増刊号)
- 「こうして1925年七月、『文芸春秋』から飛び出した今東光は『文党』という同人雑誌を始めるが、同人に金子洋文、間宮茂輔、サトウ・ハチロー、水守亀之助、村山知義らがいるが、梅原北明もこの時、同人として参
加し、彼のプランで発会を兼ねた街頭宣伝を行なった。同人の村山知義、吉頓二郎の二人に看板を描かせ、同人一行がその看板を胸と背にかけ、メガホンを目にあて桃太郎のメロデーで文党歌を歌いながら一大行列を行なったのだ。」「『文党』一派には村山知義をはじめとして、ダダイスト、アナーキストが、さよう″黒き犯人たち″が加わっていた」と『昭和文学盛衰史』の中で書いているが、表だってはダダイストでもなくアナーキーストでもなく、ましてコンミュニストでもない北明が演出者であったことまでは知らなかったようだ。ともあれ、この珍妙な行列は早速、新聞種となって、当世風にいうならば『文党』のパプリシティとなり、今東光を喜ばせた。」「「デカメロン』で当てた北明には雑誌を出す資金的余裕があった。同人には『文党』から今東光、村山知義、井東憲、金子洋文、佐々木孝丸らが加わり、当時の新鋭作家の顔ぶれをそろえることができた。」[3]
代表作
引用文献
注釈