明智伝鬼

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あけち でんき、1940年(昭和15年)9月11日 - 2005年(平成17年)7月17日

活動内容

緊縛師。

別名

Denki Akechi

略歴

1940年代、小学生低学年の頃、遊びで女友達を気に縛り興奮していた[1]

1949年(昭和24年)頃、小学校三年の時、貸本屋で雑誌「奇譚クラブ」に出会う[1]。「デカメロン」や「裏窓」を愛読。

1950年代、中学時代は自転車で15分かけて貸本屋にSM関連雑誌を借りに行く[1]

1950年代後半、高校時代に「肉体の門」写真集を見、自分で縛って練習。この頃、親の会社が倒産。職人の世界に入る。心臓病の手術[注 1]

1958年(昭和33年)、職人として独立。

1959年(昭和34年)、初めて女性を緊縛[注 2]

1970年(昭和45年)頃、再度心臓手術。

1978年(昭和53年)。GSG企画桜田伝次郎桜田信と出会う。西荻窪のビルの地下、大塚の「マイウエイ」(SMボンバー)でおこなわれていたGSG企画のショーの後、縛りのテクニックを披露。[2]

1980年(昭和55年)頃、「特別会員の会」を組織[2]

1987年(昭和62年)7月、スタジオファントムを組織[3]。中野クイーンで定期的にショーを[2]

1987年(昭和62年)9月、「SM実験劇場スタジオファントム」を旗揚げ。最初月に1回、88.1より月2回の定例公演として97年6月までの10年間の長期公演[3]

1989年(昭和64年)、一般会員撮影会を発足。不定期に野外撮影会。その後「SMの会(SF?確認必要)」「伝鬼の会」など四つの会を主宰[3]

1997年(平成9年)8月、下馬(世田谷区で三軒茶屋や学芸大の近く)に雅羅紗を開く。

1998 清水ひとみの「東京ストリップ」モッツコーポレーション

1998 日本文化デザイン会議(秋田)、オランダツアー、 

1999 ヨーロッパツアーと国内外にて活躍 

2001年団鬼六の映画「美人妻」に出演している。笠原唯央監督。

2001 林葉直子の「罰」モッツコーポレーション

2001.11、池袋にSM倶楽部 雅羅紗[注 3]をオープン。

2000年以降、持病の心臓の手術を毎年のように受けながらも精力的に活動。 捕縄術の研究。口伝で伝わっている。5年かかり27流派を解き明かす。

2003.6.21 Loft Oneに出ている。

2004.10.9撮影の葵マリ監督「鬼」に出ている。

2005年3月24日、「美女と野獣」で緊縛講習会予定の記事が同HPに。実際におこなったか不明。

2005年7月17日午前10時36分。多臓器不全により永眠。


エピソード

  • 初めてGSG企画のショーを見た明智の感想は「アンダーグラウンド劇ってかんじだったけど、マニアの目から見ると、とてもSMとは言えなかった」[2]
  • GSG企画のショーは月に10回程度で2年続く。事故で終焉を迎える[2]
  • ビデオは初期のエド・プロ、ダイ・プロから、宇宙企画、VIPと二〇本以上のビデオ[2]
  • 「東京SM企画」「SM水族館」でもショーをしていた[3]

代表作

緊縛教材

『縛りの極意』  クリーンバーニー・モッツ・コーポレーション(1997)

引用文献

注釈

  1. 医者に30才までしか生きられないと言われる。
  2. スナックで知り合った女性
  3. 明智の死後平成17年11月30日に閉店。(渋谷にあるイベントスタジオが「サロン雅羅紗」、池袋にある会員制SMクラブを「クラブ雅羅紗」)

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